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この絵は911後にマンチェスターで描いたもの。
この後、3年以上絵を描くのをやめてしまった。
と言うか描けなくなってしまった。
311後の今、あの時と同じ道を歩くことはなく、描き続けることと闘っている。
正確に言うと、描き始めようと闘っている。
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311からまだ一年半しか経っていないというのに、あの記憶は色褪せてきてしまっている。
でも、例えば近くを大型の車が通るだけで、その地鳴りのような音で手に汗をかくこともある。
実際はまだ心は完全にはこの一年半では癒されていない。
そして内部被曝は進んでいる。まだ震災真っ最中だ。
そんな状況での911は、更に遠い昔の話だ。実際11年が経つのだから無理もない。
自分はあの日を中東系の多いマンチェスターで過ごしたので、
多少強度と匂いのある実体験としての記憶がある。
なのでその分、思い出すことは比較的簡単かもしれない。
911という数字が、あのツインタワーの崩壊だけをさすのであれば、
被害者はあのテロで亡くなった方々だ。
しかし、911というのは本当に根深い事件で、少し調べてみるだけで、
あれは途方も無く長い年月の間に積み重ねた、
人類の負の歴史の氷山の一角だということがわかる。
それは辿っていくと聖書がつくられた時代までさかのぼらなければならない。
比較的近年の話であれば、欧米の中東政策に問題があったとか。
詳しく知りたい人はノーム・チョムスキーの著書ででも調べて欲しい。
調べてもらえれば、あのツインタワーの崩落で亡くなった人だけが
犠牲者じゃないことがわかって頂けるだろう。
“911を忘れない”というフレーズをテレビで見かけるけれど、
忘れてはいけないのは、怒りは更なる怒りを生むから、
その怒りを鎮めて、この負の連鎖を止めなければいけないということだろう。
でなければ、いつだって犠牲になるのは市民だ。
それも国や企業の一部の人間が金儲けをしたいがために。
これは国内の311後の対応や、原発問題にも言えることだ。
相手が大き過ぎるし、手の届かないところで動いていることだから、
無力さに背中を向けてしまいたくなる。
でも、今こそ一人一人がこの課題向き合うときが来ているように思える。
関係が壊れてしまった相手と仲直りするには、まずは相手を許すことが必要だろう。
これはご存知の通り簡単なことではない。
相手を許すということが、自己を怒りから解放することを意味するならば、
そのためには怒りを鎮める方法や力を、できるだけかき集めて挑まなくてはならない。
それは音楽や芸術にも、そして一人一人の言葉と心にもある。
buna