QUEST FOR THE CENTREPIECE by buna

Archive for the ‘Philosophy’ Category

岐路

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年寄りくさく聞こえるかもしれないですが、
残りの人生をどう生きるか。
ここ数ヶ月、これを考えなければならない環境に置かれ続けています。
40歳になった今年。
“自分達が死んだら”という仮定で両親が話をすることが増えました。
10年以上前、シーツを新調した母が、
「これが最後のシーツになるかもしれないわね」
とつぶやいた時の、それまで経験したことがない切ない感覚は忘れません。
しかし、最近ではそれが日常茶飯事になりました。

そして、今年の正月に大親友が事故で死にかけたことも、
死について考えさせられたきっかけでした。
どう生きるかを考えることは、どう死ぬかを考えることでもあるらしいです。
この誰かの言葉が、今は重く響きます。

最近、残りの人生を捧げたいこと。
そう信じられる仕事を見かけるようになりました。
今まで経験してきたことを活かしながら、
人の役に立ち、挑戦と成長をすることができる、
そんな類の仕事をしている人たちがいるらしいのです。
どうにかして、そこに僕も立ちたくて、
(引越しの準備をしながら)動いています。

今年は、人生の岐路になりそうです。

buna

311

bunaさん(@bunaism)が投稿した写真




311から5年が経ち、日本は何を学び、成長してこれたのだろう。
日本政府は原発依存を止めようとしない。

いつもの繰り返しだけど。
僕が一番伝えたいのは、
利便性や効率性を過剰に求めることはやめよう。
ということ。

buna

背暗向光

consequence


社会の闇を見たらきりがない。
現代は情報に溢れているから、なおさらだ。
だからと言って目をつむっていては、誰かの手のひらで転がされる。
一方で、知らなくてもいいこともたくさんある。
闇に飲み込まれて“ダークサイド”に落ちている人も少なくない。

光ばかりを見ていても、目がくらんで何も見えなくなるのも事実。
その中心をつかむ。その大切さと難しさをあらためて感じる。

背暗向明(はいあんこうみょう)
この仏教の言葉。
闇に背を向けるということではなくて、
闇を知り、それを力に光に向かって進め。
もしくは闇を照らせ。
そういう意味に今は受け止められる。

buna

挑戦する価値

#drawing #pencildrawing need more perfect lines and balance.

bunaさん(@buna)が投稿した写真 –




今日は暖かい1日でした。また明日から寒くなりそうなので、
体調管理が大事になってきます。この週末は行きたいイベントもあったのですが、
仕方なく家のことをやりました。


挑戦する価値

今回アップしたシンプルなドローイングは、
原点に戻る作業でもあり、別の表現を模索することでもあります。
これは完全に個人的な作業で、本来人に見せるようなものでもないです。
ただ、何かしら魅力を自分で感じるので、
人に見てもらっても、何かを受け取ってもらえるように思えたのです。

イベントなどで、その場にいる人を気にせずに、
自分のスタイルを通して、客の反応が悪かったアーティストやDJに対して、
「マスタベーションなら家でやれ」と言う人がいます。

そのイベントが踊りに来ている客がメインで、
彼らを踊らせられなかった場合、そう言われても仕方ないです。
でも、その場が「表現の場」であれば、話は別です。

表現の場では、もちろん表現したいことが相手に伝われば成功ですが、
失敗しても、そこで挑戦したことで、何かをつかめたり、
発見ができれば良しとしていいと思うのです。
人前でやるという緊張感の中でしか、得られないものがあります。
英語で「Good Try」と言ったりしますが、
挑戦したことを評価してあげてもいいと思うのです。

こういう挑戦することに、寛容でない“空気”が、
日本のシーンをつまらなくさせているのではないでしょうか。
失敗するかもしれない。新しい何かに変わる期待を持てるような。
そんなスリリングなパフォーマンスを僕は観たいです。
どうも、無難に失敗しないことをしている人が多い印象です。

buna

別の観点を知ること

Untitled



最近人に会うたびに、EDMという、今はやりの音楽の話になります。
EDMというとタイに行ったとき、タイ人の友人が車の中でかけて、
「この安っぽい音楽はなんだ?!」
と嫌悪感を露骨に表してしまったことを思い出します。
なんと大人気ないことをしたものです。

あのジャンルが今の音楽産業、
メインストリームのクラブシーンを支えているわけですから、
そこは評価、感謝すべきなのでしょう。
ちゃんと聴いたことがないので、言いたいことはそれだけです。

別の観点を知ること

先週、最先端の技術を作り出し、
利用した仕事をしている友人宅にお邪魔しました。
彼は流行を作り、それを広げていく役目の人でもあります。
なので日頃から最新のサービスに触れるように意識しているそうです。

彼から言わせると、流行を否定して、
普遍的な価値を追求するというのは、
ある種の逃避に見えるそうです。

変化についていけない。
対応力、柔軟性がないことを理由に、
言い訳として、普遍的価値の追求。
そう言っていることはないか?
という観点。

これからも、この自問はし続けなければと。
そう気付かせてくれたその友人に感謝です。

buna

Stay Young

JUN MATSUSHIMA


先々週末、友人の松島純の展示会が表参道ヒルズで開催されていました。
スタイルは違うのですが、どこか自分と似たものを感じます。
「伸び代あるよ!」などとわざと偉そうに言い残して来ましたが、
正直まだまだ良くなりそうで、実は驚異です。
彼のサイトは以下です。
www.matsushimajun.com


Stay Young

ずいぶん前に“ゆっくり話そう”と言ってた人に、
やっと先週末にその機会をつくることができました。
自分より若い人たちに会うと、世代差を感じるのは仕方ないことです。

普段から自分はもう“古い”と言われる世代の人間になっているのかも。
という意識を持つようにしています。
所謂“老害”を若い世代に与えたくないし、
「昔の方が良かった」と、変化を否定して凝り固まってはいないか?
と自分を見張っているということでもあります。

20代の頃、「〜である」と断定すること嫌いでした。
言い切ることで、他の選択肢がなくなる気がしたからです。
ただ、30代にもなると、断定して前へ進まなくてはいけない。
そんな風にも思うようになりました。
言い換えれば、何かを諦めたということでもあります。

そうやって、“諦めてきた”者が、若者にも諦めろと言ったり、
自分の答えを押し付けて可能性を減らすことを避けたいのです。

buna

テンポ

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というわけで、書き初めです。
今年はこんな風に生きます。
自分の中の甘えや中途半端な部分を叩き直す覚悟です。
そういうテンションの人ばかりが周りにいるような、
そんな環境を作りたいです。

去年、ある会社の社長さんとお会いした時、
「テンポを大切にしている」とおっしゃってたのですが、
あの意味がわかりました。

何かをやろう。と言った後、テンポ良く動けるかどうかで。
その後もたついているとダメなんです。
鉄は熱いうちに打て。ですね。

でも、僕らは機械じゃないので、情などが湧いて、
簡単にはいかないのが常ですが。

そこをササッとできるようになりたいです。
いい加減。

buna

流行りじゃないだろうけど

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「ブログを書いている」と言うと。
食べ物や自撮り写真でもアップしていると思うのでしょうか。
苦笑いされたことがあります。


流行りじゃないだろうけど

今年、世話になりそう人や一緒に動きそうな人に、
少しずつ新年の挨拶をしている。
そのやりとりを通して、
受け身にならずに、積極的に動く。
そう自分に言い聞かせているのかもしれない。

やっぱり、なんとなくやってても、
状況は良くならない。
どれだけ、甘えることなく、
空虚感に負けずに闘うか。

動いていれば、動いている人と出会う。
渡り鳥が空を大群で飛ぶのは、
お互いの羽が起こした風の浮力を利用して、
助け合うためらしい。

こういうのは流行りじゃないだろうけど。
命をかけて生きてみろ。
そう自分に言っている。

buna

邂逅

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近所の自然公園の木々たちの生命力を感じ、
元気をもらいました。あらためて、“光の方へ進まなければ”
そう思うことができました。


邂逅

気温も下がり、冬らしくなってきました。
僕も忘年会シーズンらしく、今週は平日から連日呑み会でした。

人に会うと、その相手に会わなかった期間を振り返ります。
今週、10代、20代、30代の頃に行動を共にしていた人たちと再会しました。
中には30年ぶりに再会する人もいて、
自分の過去を走馬灯のように思い出しました。

それらの再会を通して、何を一番感じたかっていうと、
やっぱり、人に会わないとダメですね。

過去を振り返って今の自分を確認して、
何が足りなくて、何がありすぎるのか。
それを解決するためには、何をしなければいけないのか。
普段考えているようで、
考えられていなかったところに意識を向けることができます。

また会った人が向き合っていること、がんばっていること。
それらを少しでも肌で感じることで、
前に進む力をもらえました。

来年はもっと人に会いにいきます。
受け身な姿勢を改めないといけません。

buna

足を止めずに

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「足を止めずに考えないと」
と誰が言いました。
でも、時に足を止めて考えないと
大事なものを背後に置き忘れてしまうような気がしてます。

理想はそのタイミングを見分けて、
緩急つけて前へ進めることなんでしょうけど。
これはなかなか難しいです。

なので、足を止めたくなったり、
止まってしまったときは。
そこで考える時期なんだと。
そう思うようにしています。

今の僕は、動きながら考える時期のようです。
“大事なもの”はたぶん、見失っていないので、
あとはどこで頑張るか。これさえ迷いがなくなれば、
もう少し先に行けそうです。

buna

《映画》『BLOW』夢を使い果たして〜

Hello Thailand!


先週は雨の日が続き、我が家はカビとの戦いでした。
数日前から良い天気が続いているので、
窓を全開にして風通しを良くしています。
ただ、家の前の公園から砂埃が飛んで来ています。


『BLOW』夢を使い果たして男はアメリカを手に入れた

先週から仕事が落ち着いたので、
貪るように映画を観ています。
映画は意外とミニシアター系よりも、
メジャーな作品を観ることが多いです。
(単純に、近場のレンタルストアに置いて無いだけかもしれません)
日本映画も、5回に一回借りる程度でしょうか。

先日観たのはジョニー・デップ主演の『BLOW』(2001)。
70年代に実存した伝説のドラッグ・ディーラーの成功と家族の話です。
大金を掴んだ人間が、何を得て何を失ったか。
僕が大金を掴むことは、無さそうですが。
利潤主義で生きることのリスク、
それを垣間見た気がします。

「人は自分の人生から学ばなければならない。
そして、自分の生き様の審判は、人生が行う」
「金は幻」
(そのままではありません)
というセリフが印象に残っています。

そして、この映画の影響で、
80年代風のジャージが欲しくなってます。
以外と感化されやすいのです(苦笑)

buna

ブログを書くこと

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まだ五月の終わりだというのに、夏日が続いています。
展示会を終え、保留にしていたことを、一つずつ整理して進めています。
このブログも、告知がメインになってしまっていたので、
また、日々感じ考えたことを綴っていきたいと思います。

ブログを書くこと

もちろん、伝えたいことがあるから書いてます。
これが一番の理由です。

ブログを始めた頃にも書きましたが、
ここに日々の苦楽を晒している理由はいくつかあって。

自分の意見や感じていることを、言葉で表現できるようになりたかったのと、
他人に「暗い」「重い」「まじめ」と拒絶されることを恐れて、
口に出せない人に向けて、こんな人間もいることを知って欲しいからでした。

それは当然僕の絵も一緒で、人を楽しくさせるようなものではなく、
一人になったときに、眺めて物思いに耽る。そんな作品が多いように思います。
もちろん、この先どうなるかはわかりません。

buna

手に入れたモノは




我が家の裏の空き地では、うなだれた黄金色をした植物たちが見えます。
そんな寒々しい冬の景色を眺めながら、目覚めのコーヒーを飲む毎日です。
先日、インドネシアのジュリア・コーヒーのワークショップに参加しました。
コーヒーも奥が深いのですね。知らないことだらけでした。
今年、ワークショップは二度目、その面白さがわかってきました。
“本当の豊かさ”、これ最近よく考えていることです。


手に入れたモノは

戦争が終わってから約70年、バブルが弾けて約25年。
911から約14年、311から約4年。

日本が手に入れたモノは何でしょう。
日本人が世界に誇れる生き方、
「日本人」という枠の中に収まろうということではなく、
「日本人」であることを核に、深化(進化)していく道。
それを見つけられるチャンスは何度もありました。
その度に、私たちは利便性や目の前の幻想に負けたようです。

もうそれを繰り返さないように、何を守り、変えていくか。
それを表現していく役目を、担いたいと考えています。

buna

そこに愛はあるのか




師走が近づいているから、忙しくなってきています。
だというのに、生活は楽にならず。
アベノミクスは裕福層のふところを温めただけなんじゃないか?
そんな風に思えてなりません。


そこに愛はあるのか

仕事の関係で、”LOVE”について少し考えることになっています。
日本人にとって「愛」という言葉を使うようになったのは、明治以降だそうです。
それも、英語の「LOVE」などの言葉、概念を翻訳する際に、
漢字の「愛」という漢字を当てたとのことです。

現に「愛している」と「好き」の違いを説明できる人が、どれだけいるでしょうか。
「好き」という気持ちが強いと「愛している」になるのか、
では、ストーカーの気持ちは、「愛」なのか? しっくりきません。

だと言うのに、私たちはよくこの言葉を目にし、実際に使うこともあります。
「愛がある作品」、「言葉に愛がある」などなど。
心が通っていることを表現するために、自分は使うことが多いです。

曖昧なイメージのまま、この言葉が広告と消費者、男女間を頻繁に行き交います。
欧米でも同じ状況かもしれませんが。

きっと、本来欧米では心の深いところから出てくる、相手を思いやる強い感情を「愛」と
いうのだと思います。それは性別、関係性関係なく。

一方、日本人は人間だけでなく、
自然に対しても、「愛」を持っている人種の一つです。もともとは。
そして、日本語にもこれに変わるような言葉があるはずなのです。

buna

岩手 – 感謝の心 –




一週間以上経ってしまいましたが、盛岡経由で雫石へ行きました。
両親と二組の兄夫婦。3人の姪っ子と1人の甥っ子。今では家族は11名になりました。
その中で独身の自分は、欠けた存在のようにも感じますが、人の人生は色々です。


岩手 – 感謝の心 –

日本の自然美をある欧米人が“神秘的”と表現していましたが、
これこそが日本人が守るべき風景だと感じています。



四季折々の風景と食べ物。
現代の日本では、農業技術の進歩によりスーパーに並ぶ食べ物は一年中あまり変わりません、
健康を考えると、その季節に収穫された食物を食べるのが、理想的だそうです。
大地や太陽などからの、われわれへの贈り物です。
本来感謝すべきところなのですが、食べたいものがいつでも手に入る現代ではなかなか難しいです。



経済的発展、不便な生活から便利な生活へ。
正しいと信じて来ましたが、21世紀の今、そこを一度見直すときなのではないでしょうか。

buna

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