QUEST FOR THE CENTREPIECE by buna

Archive for the ‘Philosophy’ Category

Stay Young

JUN MATSUSHIMA


先々週末、友人の松島純の展示会が表参道ヒルズで開催されていました。
スタイルは違うのですが、どこか自分と似たものを感じます。
「伸び代あるよ!」などとわざと偉そうに言い残して来ましたが、
正直まだまだ良くなりそうで、実は驚異です。
彼のサイトは以下です。
www.matsushimajun.com


Stay Young

ずいぶん前に“ゆっくり話そう”と言ってた人に、
やっと先週末にその機会をつくることができました。
自分より若い人たちに会うと、世代差を感じるのは仕方ないことです。

普段から自分はもう“古い”と言われる世代の人間になっているのかも。
という意識を持つようにしています。
所謂“老害”を若い世代に与えたくないし、
「昔の方が良かった」と、変化を否定して凝り固まってはいないか?
と自分を見張っているということでもあります。

20代の頃、「〜である」と断定すること嫌いでした。
言い切ることで、他の選択肢がなくなる気がしたからです。
ただ、30代にもなると、断定して前へ進まなくてはいけない。
そんな風にも思うようになりました。
言い換えれば、何かを諦めたということでもあります。

そうやって、“諦めてきた”者が、若者にも諦めろと言ったり、
自分の答えを押し付けて可能性を減らすことを避けたいのです。

buna

テンポ

Untitled


というわけで、書き初めです。
今年はこんな風に生きます。
自分の中の甘えや中途半端な部分を叩き直す覚悟です。
そういうテンションの人ばかりが周りにいるような、
そんな環境を作りたいです。

去年、ある会社の社長さんとお会いした時、
「テンポを大切にしている」とおっしゃってたのですが、
あの意味がわかりました。

何かをやろう。と言った後、テンポ良く動けるかどうかで。
その後もたついているとダメなんです。
鉄は熱いうちに打て。ですね。

でも、僕らは機械じゃないので、情などが湧いて、
簡単にはいかないのが常ですが。

そこをササッとできるようになりたいです。
いい加減。

buna

流行りじゃないだろうけど

Untitled


「ブログを書いている」と言うと。
食べ物や自撮り写真でもアップしていると思うのでしょうか。
苦笑いされたことがあります。


流行りじゃないだろうけど

今年、世話になりそう人や一緒に動きそうな人に、
少しずつ新年の挨拶をしている。
そのやりとりを通して、
受け身にならずに、積極的に動く。
そう自分に言い聞かせているのかもしれない。

やっぱり、なんとなくやってても、
状況は良くならない。
どれだけ、甘えることなく、
空虚感に負けずに闘うか。

動いていれば、動いている人と出会う。
渡り鳥が空を大群で飛ぶのは、
お互いの羽が起こした風の浮力を利用して、
助け合うためらしい。

こういうのは流行りじゃないだろうけど。
命をかけて生きてみろ。
そう自分に言っている。

buna

邂逅

Untitled


近所の自然公園の木々たちの生命力を感じ、
元気をもらいました。あらためて、“光の方へ進まなければ”
そう思うことができました。


邂逅

気温も下がり、冬らしくなってきました。
僕も忘年会シーズンらしく、今週は平日から連日呑み会でした。

人に会うと、その相手に会わなかった期間を振り返ります。
今週、10代、20代、30代の頃に行動を共にしていた人たちと再会しました。
中には30年ぶりに再会する人もいて、
自分の過去を走馬灯のように思い出しました。

それらの再会を通して、何を一番感じたかっていうと、
やっぱり、人に会わないとダメですね。

過去を振り返って今の自分を確認して、
何が足りなくて、何がありすぎるのか。
それを解決するためには、何をしなければいけないのか。
普段考えているようで、
考えられていなかったところに意識を向けることができます。

また会った人が向き合っていること、がんばっていること。
それらを少しでも肌で感じることで、
前に進む力をもらえました。

来年はもっと人に会いにいきます。
受け身な姿勢を改めないといけません。

buna

足を止めずに

Untitled


「足を止めずに考えないと」
と誰が言いました。
でも、時に足を止めて考えないと
大事なものを背後に置き忘れてしまうような気がしてます。

理想はそのタイミングを見分けて、
緩急つけて前へ進めることなんでしょうけど。
これはなかなか難しいです。

なので、足を止めたくなったり、
止まってしまったときは。
そこで考える時期なんだと。
そう思うようにしています。

今の僕は、動きながら考える時期のようです。
“大事なもの”はたぶん、見失っていないので、
あとはどこで頑張るか。これさえ迷いがなくなれば、
もう少し先に行けそうです。

buna

《映画》『BLOW』夢を使い果たして〜

Hello Thailand!


先週は雨の日が続き、我が家はカビとの戦いでした。
数日前から良い天気が続いているので、
窓を全開にして風通しを良くしています。
ただ、家の前の公園から砂埃が飛んで来ています。


『BLOW』夢を使い果たして男はアメリカを手に入れた

先週から仕事が落ち着いたので、
貪るように映画を観ています。
映画は意外とミニシアター系よりも、
メジャーな作品を観ることが多いです。
(単純に、近場のレンタルストアに置いて無いだけかもしれません)
日本映画も、5回に一回借りる程度でしょうか。

先日観たのはジョニー・デップ主演の『BLOW』(2001)。
70年代に実存した伝説のドラッグ・ディーラーの成功と家族の話です。
大金を掴んだ人間が、何を得て何を失ったか。
僕が大金を掴むことは、無さそうですが。
利潤主義で生きることのリスク、
それを垣間見た気がします。

「人は自分の人生から学ばなければならない。
そして、自分の生き様の審判は、人生が行う」
「金は幻」
(そのままではありません)
というセリフが印象に残っています。

そして、この映画の影響で、
80年代風のジャージが欲しくなってます。
以外と感化されやすいのです(苦笑)

buna

ブログを書くこと

R0030543


まだ五月の終わりだというのに、夏日が続いています。
展示会を終え、保留にしていたことを、一つずつ整理して進めています。
このブログも、告知がメインになってしまっていたので、
また、日々感じ考えたことを綴っていきたいと思います。

ブログを書くこと

もちろん、伝えたいことがあるから書いてます。
これが一番の理由です。

ブログを始めた頃にも書きましたが、
ここに日々の苦楽を晒している理由はいくつかあって。

自分の意見や感じていることを、言葉で表現できるようになりたかったのと、
他人に「暗い」「重い」「まじめ」と拒絶されることを恐れて、
口に出せない人に向けて、こんな人間もいることを知って欲しいからでした。

それは当然僕の絵も一緒で、人を楽しくさせるようなものではなく、
一人になったときに、眺めて物思いに耽る。そんな作品が多いように思います。
もちろん、この先どうなるかはわかりません。

buna

手に入れたモノは




我が家の裏の空き地では、うなだれた黄金色をした植物たちが見えます。
そんな寒々しい冬の景色を眺めながら、目覚めのコーヒーを飲む毎日です。
先日、インドネシアのジュリア・コーヒーのワークショップに参加しました。
コーヒーも奥が深いのですね。知らないことだらけでした。
今年、ワークショップは二度目、その面白さがわかってきました。
“本当の豊かさ”、これ最近よく考えていることです。


手に入れたモノは

戦争が終わってから約70年、バブルが弾けて約25年。
911から約14年、311から約4年。

日本が手に入れたモノは何でしょう。
日本人が世界に誇れる生き方、
「日本人」という枠の中に収まろうということではなく、
「日本人」であることを核に、深化(進化)していく道。
それを見つけられるチャンスは何度もありました。
その度に、私たちは利便性や目の前の幻想に負けたようです。

もうそれを繰り返さないように、何を守り、変えていくか。
それを表現していく役目を、担いたいと考えています。

buna

そこに愛はあるのか




師走が近づいているから、忙しくなってきています。
だというのに、生活は楽にならず。
アベノミクスは裕福層のふところを温めただけなんじゃないか?
そんな風に思えてなりません。


そこに愛はあるのか

仕事の関係で、”LOVE”について少し考えることになっています。
日本人にとって「愛」という言葉を使うようになったのは、明治以降だそうです。
それも、英語の「LOVE」などの言葉、概念を翻訳する際に、
漢字の「愛」という漢字を当てたとのことです。

現に「愛している」と「好き」の違いを説明できる人が、どれだけいるでしょうか。
「好き」という気持ちが強いと「愛している」になるのか、
では、ストーカーの気持ちは、「愛」なのか? しっくりきません。

だと言うのに、私たちはよくこの言葉を目にし、実際に使うこともあります。
「愛がある作品」、「言葉に愛がある」などなど。
心が通っていることを表現するために、自分は使うことが多いです。

曖昧なイメージのまま、この言葉が広告と消費者、男女間を頻繁に行き交います。
欧米でも同じ状況かもしれませんが。

きっと、本来欧米では心の深いところから出てくる、相手を思いやる強い感情を「愛」と
いうのだと思います。それは性別、関係性関係なく。

一方、日本人は人間だけでなく、
自然に対しても、「愛」を持っている人種の一つです。もともとは。
そして、日本語にもこれに変わるような言葉があるはずなのです。

buna

岩手 – 感謝の心 –




一週間以上経ってしまいましたが、盛岡経由で雫石へ行きました。
両親と二組の兄夫婦。3人の姪っ子と1人の甥っ子。今では家族は11名になりました。
その中で独身の自分は、欠けた存在のようにも感じますが、人の人生は色々です。


岩手 – 感謝の心 –

日本の自然美をある欧米人が“神秘的”と表現していましたが、
これこそが日本人が守るべき風景だと感じています。



四季折々の風景と食べ物。
現代の日本では、農業技術の進歩によりスーパーに並ぶ食べ物は一年中あまり変わりません、
健康を考えると、その季節に収穫された食物を食べるのが、理想的だそうです。
大地や太陽などからの、われわれへの贈り物です。
本来感謝すべきところなのですが、食べたいものがいつでも手に入る現代ではなかなか難しいです。



経済的発展、不便な生活から便利な生活へ。
正しいと信じて来ましたが、21世紀の今、そこを一度見直すときなのではないでしょうか。

buna

楽しむことについて

10484501_10152132423567820_2156170351221517196_n


今日は終戦記念日です。今でもこの地球のどこかで人間同士が殺し合いをしています。
人類はいつまでこれを繰り返すのか、その知恵を授かることは今後あるのか。
途方に暮れてしまいます。まずは、近くにいる人を理解し、大切にすることからですね。


楽しむことについて

現在、手伝っているタイでの展示会の準備は、大詰めです。
Facebookにアーティストページを作成したので、
気に入った方は「いいね!」してあげてください。

https://www.facebook.com/aaaasari

この展示会に関わることで、既にいくつか考えさせられることがあります。
例えば、浅利さんの言うように「楽しいから絵を描いている」と自分は言えません。
どうしたら“楽しく”絵が描けるのか、自分にはわかりません。
これは“どうしたら人生を楽しめるか?”という問いと同じくらいの重みがあり、
また、自分には難しい問いです。

今は、音楽や文章表現と向き合う方が楽しいですし、
今回の展示会の手伝いもかなり楽しいです。
では、それらと比べて絵に何が足りないかというと、“挑戦”です。
それを絵でもできたら、創作意欲がわき上がるのかもしれません。

buna

諦めずに立ち向かう – Knockin’ on the Door –


Year: 2009 Place: Madurai.India


暑さで脳の働きが悪いのか、文章がまとまりません。
夏バテ気味なのは間違いないです。
さて、ようやく我が家の客の出入りが落ち着いたところ、
来月、急遽タイはバンコク行くことになってきています。
海外は2009年に旅をしたインド以来なので、凄く楽しみです。


諦めずに立ち向かう

扉を見つけては叩くけれど、扉は開かれない。
また別の扉をみつけては叩くけれど、またもや開かない。
その繰り返しが続くと、さすがに無力感で途方に暮れてしまいます。

しかし、叩くことをやめるということは、
今いる場所に居続けることを意味しますから、本当に抜け出したいなら
叩き続けるしかありません。

一方で、今の自分でも開けれる扉はあります。
ただ、その扉の向こうに自分の求めているものが見えません。
自分が進みたい方向がわかっているので、そこに辿り着く可能性のある扉を開けれるよう、
日々、少しでも成長し、諦めずに立ち向かうしかないです。

来月、タイに行くのもその扉の一つです。生きる場所は“ここ”だけではないですし、
生き方も、現代ではある程度自由に選べます。
自分を不自由にしているのは、だいたい自身の思考ですからね。

buna

Stepping out – 突き動かす何かを –



year: 2008 Rainy Drive in Manchester


“これは自分が本当に望んでいる生活ではない。それはもっと別のモノだ”
そんな曖昧ながら確実な思いが日に日に大きくなった2001年。
その年の5月、24歳の自分は約13時間の長いフライトを終えて、
ロンドンの眩しいほどの青空の下にいた。
あのときの自分にはそのくらいの大きな行動、変化が必要だった。
直感だったけれど、今でも正しい判断をしたと自分を褒めてやりたい。
最近の天候の不安定さが英国のそれに似ていて、よく思い出す。


Stepping out – 突き動かす何かを –

止まない雨はないというけれど、雨がほとんど降らない地域もあれば、
雨が断続的に降り続ける地域もある。
今の環境に満足できないのであれば、自分の求める環境をつくるか、
または求めるモノがある場所に移動するしかない。

よく言われるように、得るものがあれば何かを無くすもので、
二度の渡英は、長年慣れ親しんできた友人や家族、そして日本文化(特に日本食)、
習慣、天候などと自分を切り離さなければならなかった。
それはとても寂しかったし、辛く、不安なことでもあった。
でも、それを乗り越えて手に入れなければいかないものがあったし、
それ以上に切り離したい、振り払いたいモノがあった。
何しろそのときの自分が嫌で仕方なかった。
それら全部が自分を突き動かし、大海を越えさせた。

正しいと思える選択肢を選ぶのは、簡単ではない。
針の穴に糸を通すような、神経を使う作業だ。
それを直感的にできる人もいるけれど、自分のそれはそこまで信用のできるものではない。
または歳を重ねて慎重になったのか、もしくは臆病になったのかもしれない。
選べぶべき選択を見分けるには、自分と自分を取り巻く環境や状況を知る必要があった。
例えば、足りないものは何か。何を求めているか。求められているか。などだ。
それを知った上で自分を成長させるだろう道を選ぶ。
楽をした分のツケは必ず早かれ遅かれ払わされる。結局どれを選んだところで棘の道だ。

今の自分、そして周りの状況を愚痴っても仕方ないから、
全てを投げ出したくなるのをこらえて、
2001年に自分が決断したような、大きな一歩を探して今動いている。

buna

根底にあるアレ




根底にあるアレ

今週の土曜日に誕生日を迎えます。
40代が自分に押し迫っている。正直、そんな焦りが少しあります。
世間の時間の流れとは、違う流れで生きていることは受け止めていますが、
少し隔たりが開き過ぎているような気がするのです。

前に進むスピードは人それぞれ。でも、そろそろそのスピードを上げたく、
思いつく限りのことをやりはじめています。積極的になりきれないのは、
10代の頃から劣等感を心に蓄積してしまっていて、
どうやら負け犬根性が根底にあるようです。

それから解放されるためには自信を持つことが必要で、
それも他者から“認められる”ことで得られる自信、
それが今の自分には必要なんだと思います。

人に認められたい!なんて格好悪い。
これまでそう思ってきましたけど、きっとそれも“認められない。受け止められない”
そんな負け犬根性が影響していたのだと思います。
でも、まずは自分を自分が認めることが先に来た方が、ブレないようには思うのです。
人の評価が先に来ちゃうと、流行廃りのあるこの世の中、
いつも周りの評価に振り回されることになっちゃいそうですし。
ただ、本当に自分を信じたり、認めるには、自己からと他者からの両面からの
承認が必要なのかもしれません。

というわけで、40代に向けて、モテるようにがんばります(嘘)

buna

憧れについて




前回に続いて、具象を描いた作品をアップします。
これは友人の個展のDMに使われたものを、観ながら描いたものです。
その友人の絵はこちらで観られます→ http://www.yawoyorozu.com
観て頂ければわかるように形状だけをきっかけにさせてもらったので、
まったく違うものになっています。
人生という苦にもがきながらも、一歩でも前に進もうとしている。そんな印象があります。
“スピードは重要じゃない。一歩でも前に進むことが最も重要だ。焦るな。
ただ、進むスピードが遅かれ早かれ、
その自分のスピードで何かしら失うモノと得るモノがあることも覚悟しろ”
そんなメッセージを自分の作品から受け取りました。
もしかしたら、具象というのは伝わるメッセージも、具体的になるのかもしれません。
そんな当然と言えば当然の気づきがありました。


憧れについて

次のレベルに自分を持って行く話をしていた際、
ある友人に「“憧れ”を捨てることだね」そう言われたことがあります。
確かに、周りを見渡してみると憧れるだけで終わっている人が多いように思います。
なので、その友人の言わんとすることを正確に言葉にするなら、
“憧れを憧れのままで終わらせてはいけない”ではないでしょうか。

好きなものに影響されるのが嫌で、それに背を向けるのは、
自分にも経験があります。でも、恐れることはないのでしょうね。
それがもし本当に好きなものなのであれば。ですが。

人が成長するうえで、この憧れというのは、鍵や道しるべになります。
例えば、“凄い!この人のように成りたい!”
そう感じる人と出会うとします。そういう場合はできるだけその人(や作品)に接して、
とことん影響を受けてしまえば良いのです。それを憧れや真似で終わらせずに、
自分の血肉にして、しっかりと“自分らしさ”にしていく。それが大切なんだと思います。

buna

PAGE TOP