QUEST FOR THE CENTREPIECE by buna

ねぶた祭り

その理由を忘れるくらい、かなり前から見てみたかったねぶた祭り。
青森に転勤中の兄に、特別最前列を用意してもらった私と両親は、
2時間の間、ねぶた祭りを堪能した。

この無病息災を祈るための祭りは、諸説あるけれど、
中国から奈良時代に伝わった七夕祭りと、
津軽にあった精霊送り、人形、虫送りなどが融合し、
発展したものだという説が有力なようだ。

ダンスミュージックがそうであるように、
音楽と踊りは、人々の心を無心にして一つにする効果がある。
これが祭りであり、芸術の本質的な目的だという考えが更に強まった。

buna

それぞれがそれぞれの場所で闘っている


この暑さの中、外出する気にもならず、エアコンの効いた部屋で過ごす毎日。
夏らしいことは8月に計画中。


それぞれがそれぞれの場所で闘っている

ギャラリーを立ち上げることになり、アーティストを集める一方で、
その運営とアート業界の勉強をしている。
初めてのことなので何から始めて良いのか、手探り状態なので、
その道の経験のある方に話を聞かせてもらっている。

このギャラリーは、アーティストが制作を販売し、その販売利益で生活をし、
また制作に集中できるというエコシステムを作ることが目的の一つにある。
なので、売らないといけない。

これがどんなに難しいことなのかは、身をもって体験している。
「売ろうと思わなければ売れない」といつかある人が言っていた。
そんな中、運よく日本を代表するアーティストのスタジオの見学の機会に恵まれた。
そこで見たものは、工場だった。

工場や倉庫で働いた経験のある僕としては、新鮮さはなかったのだけれど。
「売れるものを作る」「売るために作る」という姿勢が大きく僕とは違かった。
純粋芸術がどうのと言うつもりはない。
それぞれがそれぞれの場所で闘っているだけだ。

その人も、数百人のアシスタントを24時間のシフトで働かせ、
毎日数百万近くの製作費が消えていく。
そんなプレッシャーの中で闘っているあの人を尊敬をする。
言ってみれば、僕らの日本人アーティストに希望を見せてくれている1人だ。
勝ち方や生き様を見せてくれている人だ。

続く

buna

【映画】Le choc du futur (The Shock of the Future)


コロナ禍を無事に乗り切ったと思っていたら、
第9波にやられてしまった。
オミクロン株でここまでしんどいのだから、
以前の株がどれほどしんどかったのだろう。


Le choc du futur(The Shock of the Future) 2019

倦怠感が酷く、音楽が聴きたくなかった。
これは本当に珍しいこと。

なので、大半の時間を映画やドラマを目を半開きで観ながら過ごした。
(残念ながらできる限り仕事もしなければならなかった)

陽性という検査結果が出てから9日後、
やっと目を全開で観ることができるようになり、
『The Shock of the Future』というフランス映画を観た。

1970年代後半のフランス、
新しい音楽の可能性を探る若き女性ミュージシャンが、
ある日、日本製の電子楽器に出会い、
理想のサウンドを見つけるという1日を描いた映画。

レトロなごっついシンセの前に
女性がいるという絵だけで電子音楽好きとしてはたまらない。
映画としてはとくにわかりやすい起承転結もない。
でも、フランスの文化水準の高さを感じることができる。
そして、クリエイティヴになれた映画だ。

buna

出会う場を

ギャラリーの立ち上げプロジェクトをしている。

アートをビジネスにする難しさ。
そして売るために作ることへの戸惑いが少しあるものの、
人が喜んで買ってくれることは悪いことじゃない。
料理人だって同じじゃないか。

アーティストと出会える場はどこにあるのだろう。
あなたと会えるのはどこですか?と聞かれたらなんと答えよう。
あそこに行けば会える。なんて場所はない。
あったとしても、話しかけられるのだろうか。

そもそも、人と人が出会うというのは、
ある種の奇跡なのに、なんとなく出会ってしまっている。

話が外れたけど、まずは自分自身が誰かと出会いやすくすることからだろう。

というわけで、色々なところに顔を出そうとしている。
しばらくは東京エリアになってしまうけど。

buna

環境を整えている。

もっと音楽を楽しみたいけど、思うようにはいかない。
せめて自分の部屋ではと、環境を整えている。

複雑だ。

先日、世界的に評価されている音楽家の友人が、
DJにイラついていた。
何故なら彼ら彼女らDJは、人がつくった曲をかけてチヤホヤされ、
まるで自分が作った曲かのような振る舞いをするからだ。

そんな器の小さなことを言うなよと。
その時は言ったものの。

これはアートコレクターや、キュレター、ギャラリストにも言えて。
自分が作品をつくれないのに、アーティストの作品に対して、
偉そうな言動している人を見かけて、
同じような感覚になった。

もちろん、そう言う人たちに認められないと、
知名度も、アーティストとしての市場価値も上がらないわけで。

複雑だ。

buna

ただ感じるだけ

 


ろくに桜を眺めることもせずに春を迎えてしまった。
全体的には順調に進んでいるはずなのに、
不安が残る。不安を感じるのは僕の才能かもしれない。


ただ感じるだけ

芸術家がどのような気持ちで、その作品を作ったのか。
それを知らずに、そこに関心を持たずに、
アートが理解できたと言えるのか。

表面的な綺麗さと面白さだけを楽しまれて、
僕らの作品は消費されていくのだろうか。
そんな考えが浮かんで、虚しい気持ちになった。

ただ、僕が音楽を聴くとき、
その曲がどんな心境の時に作られたかに、
興味はあったとしても、
ほとんどの場合、知ろうとはしない。

ただ感じるだけだ。

それはアートも同じで、
僕らがどういう心境でとか、
考えで描いたなんて、
頭で知ろうとなんてしなくて良くて。

むしろ、観た人がそれを描いた人の
心境や世界に誘われて初めて本物の作品なのかもしれない。

buna

そこに吐き出したい何かがあるのか

僕が10代の頃に影響を受けたパンクカルチャーは
楽器がろくに弾けなくても、
吐き出したい感情やメッセージさえあれば、
誰でもが表現ができた。

今話題のAIアートも、誰でも作れることから、
パンクカルチャーに似た既存のシステムを破壊することが可能だ。

ただ、そこに吐き出したい感情やメッセージが
感じられないものが多くて、僕の心には今のところ響かない。

buna

展示会終了

「芸術的なものが(本物の)芸術を見えないようにしている」
確か、白州正子さんの言葉だったと思う。
この言葉が最近、よく頭に浮かぶ。
もちろん、僕は本物でありたい。


SHIBUYA NFT ART JUNCTION 2023

先週末の展示会は、
悪天候と
NFT周辺の盛り上がりが落ち着いている
タイミングもありましたが、
去年と同数の来客数になりました。

今話題のダンサーのアオイヤマダさんと夢無子さんのパフォーマンスも
見応えがあり、展示会のメインのコンテンツとなっていました。

デジタルアートにとってNFTのような、
証明書は今後は必要になります。
暗号通貨が絡むとハードルが高くなるし、
購入してもどう楽しめばいいのかもわかりません。
その選択肢を増やすことも課題です。

まだまだ初期段階の技術、今後どうなるのでしょうか。

どうあれ、今の僕はアナログの絵が描きたい。
そして、少し休みたい。

buna

生き様

できるだけかっこ悪いとことはしないようにしてきた。
それはマンチェスターで出会ったアーティスト、
音楽家たちの姿勢の影響が大きい。

ただ、経験したことがない場所に身をおいてみたくなることもあり、
自分らしくない場所に顔を出してみたりする。

アートの力は世界を変えることはできないけれど。
一人の人間の日常を変えることはできる。

buna

SHIBUYA NFT ART JUNCTION 2023 “The Power of Art”

運営を手伝わせていただいているこのアートプロジェクト、
去年に引き続き今年も3月に渋谷で展示会を開催します。
テーマはThe Power of Art。

この展示会に向けて、
インスタライヴにてトークセッションもやりはじめており、
詳細は以下のアカウントをチェックしてもらえたらと。
https://www.instagram.com/mosaic_nation_/
柄にもなく毎回、司会をやることになっています。

ゆるくやっているので、タイミングが合えば是非観ていただき、
コメント、質問などいただけると嬉しいです。

buna

【MUSIC】Sia – Chandelier (Official Video)

友人が勧めてくれた日本人の女性歌手を聴いていて。
物足らなさを感じた理由を考える時、
いつもまず思い浮かぶのはPortisheadのベス。

そして最近ではこのオーストラリア出身のsia(シーア)。
世界的なアーティストなので知っている人も多いだろう。
普段聴いている音楽に比べると、
メジャー感満載で長い間聴いていると疲れてしまうけれど、
心に響いてくるものはかなりある。

そして少し調べてみると。
僕が2000年代前半に聴いていたZero7のボーカルを務めていたらしく、
同級生とばったり会った感覚に似ている。
年齢的にも同じ世代でもある。

「メジャー感」とはなんだろう。
と同じ表現者として考えさせられたりもする。

buna

「いつかきっと」をいつまでそのままにしておくのか。

忙しい中、最近仲のいい友人たちと強引に京都へ。
写真を撮ることと、京セラ美術館で開催されている
アンディ・ウォホール展を観るのが目的だった。

アンディ・ウォホール展は、
アンディ・ウォホール自身と彼の作品を
多角的に見ることができる充実した内容だった。

技術的なヒントが欲しく
自分の想像と経験で、
彼がどのように一枚の絵を、
どのような版を重ねて制作したのか、
研究した。

おかげで2、3つ新しい実験をするイメージができたけれど、
これをいつ実行するのか。が課題。

日々仕事に追われて、制作時間と体力、
気力が残らない環境の今、
このままで良いのだろうか。と自問は避けられない。

「いつかきっと」をいつまでそのままにしておくのか。
さて、今日こそは制作をする。

buna

Karshni-Josephine On The Floor

自分次第では、成長できる環境にいられているのは幸運なことだ。
でも、成長痛が伴うから、逃げてしまいたくなることもある。
自分の居場所はここで良いのだろうか。
などという都合の良い自問をぶら下げて。

ただ、周りからそんな声が聞こえ始めたら、
一度真剣に考えた方が良い。
どこからかのメッセージかもしれない。

Karshni-Josephine On The Floor

インドはムンバイを拠点として活動するシンガーソングライターのKarshni、
(彼女の名前の正しい発音はまだわからない)
インドでもライヴ音楽を楽しみたくて探していたとき、
Bandcampで彼女の歌声と出会った。

聴いてもらえばわかるように、彼女の声は透き通っていて、
少しばかりの危うさも共存していて、癖になる。
特にこの曲は彼女の代表曲になってもおかしない名曲だ。

残念ながらまだライヴには行けていないけれど、
いつか生で聴きたい。

buna

別の何かを

時が過ぎるのが早くも感じるし、
正月がかなり前のことのようにも思える。
充実はしているものの、何かが欠けている。
この満たされない感覚。

逃げるも地獄、進むも地獄。
どちらにせよ。自分との闘いは続く。
「越えられない試練は与えられない」
などと言われても、“ほんとかよ”と。

「針の穴に糸を通すような」
そんな感覚で選択肢を選んでいく。
まずは冷静に考えて、考えて、
考えなくなるまで考える。

そうか、山に行きたいのかもしれない。
でもこの寒さの中、いく気にはならない。
別の何かを探すしかない。

buna

OVERSTEPPER

一年を振り返ることもなく新年を迎えて、
抱負を考えるわけでもなく、
1週間が過ぎた。

数年ぶりにイベントを企画して、
DJをやることにしたはいいけれど、
久々なので思い出しながらの作業になっている。

コロナ禍で疎遠になった人たち、
音楽のなる場が再構築される機会になれば嬉しい。

buna

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