QUEST FOR THE CENTREPIECE by buna

『芸術と脳科学の対話ーバルテュスとゼキによる本質的なものの探求ー』

Untitled


年賀状を昨日やっと投函。
返事を書き忘れている相手の顔が、既に何人か浮かんでいます。
きっとここを読んでくれているので、ここで謝ります。ごめんなさい。
来年は出します。元日に着くように送ります。


『芸術と脳科学の対話ーバルテュスとゼキによる本質的なものの探求ー』

この本を読んだのは2度目。
芸術家と脳科学者の対話が書かれたものです。
瞬間的に重なることはあるけれど、
基本的に彼らの会話は平行を保って進みます。
二人の間には埋められない溝のようなものがあります。

芸術や絵を描く行為を科学的に理解、説明しようとする科学者。
祈りとしての芸術。というスタンスの芸術家。
それを科学で説明されることの違和感。拒絶。
一方で、答えから対話を始めようとする科学者。
答えよりも、過程での発見、成長を重要視する芸術家。

この二人の意見のやり取りを読んでいると、
人間が本心で語るというのは、こういうことなのかもしれない。
そんな風に思います。本心を話せば実際は衝突するのに、
相手に合わせたりして、それを避ける。
僕も含めて日本人はそうしがちではないでしょうか。
こういうやりとりによって、僕らは言語コミュニケーションと
思考を研ぎ澄ませていかせるはずなのに、なんとなく、
なぁなあにしてしまう。

それは置いておいて。少し内容に触れると、
人間は曖昧さに、想像を膨らませて不安になったり、
興奮したり悩んだりするそうです。
曖昧さに心を揺さぶられると言っても良いのかもしれません。
だとしたら、映画や絵、音楽でも。どこかに曖昧さを残しておくことで、
観た人は想像を膨らませて楽しむことができる。
ということのようです。興味深いです。

曖昧で抽象的なことばかり言っている人との会話、
あれが疲れるのは、これが原因かもしれません。

buna

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