
大事なタイミングで、システムエラーのため、ここが更新できなくなっていました。
気がついたら直っていたので、再開します。
この間、noteを利用していましたが、2回しか更新していません。
今回の個展を終えて強く感じたのは、
もし自分が絵を描いていなかったら、描き続けていなかったなら、
きっと出会えなかった人たちや、再びつながることのなかった人たちがいたということ。
そんな人たちと出会えたことが、何より嬉しく、大きな収穫だった。
もちろん、普段会っている友人や家族と集えたのも最高な時間だった。
個展を開くと、まず「売れた?」と聞かれることがある。
でも、それを一番に聞かれると、やっぱり少し距離を感じてしまう。
自分が大切にしていることは、そこではない。
buna


1回目の ENG4WA には僕の友人たちが集まり、
良い音楽と会話が途切れることなく紡がれていった。
開かれたパーティーでありたいとは思うものの、
やはり 量より質 を大切にしたい。
空間にも限りがあるので、招待制にするのも一つの方法かもしれない。
毎月開催したい気持ちはあるが、
5月には自分の個展が控えているため、悩ましい。
その個展の制作は進めているものの、
新しいアイデアはまだ作品として 30%ほどの完成度。
概念ばかりで、ビジュアルとしての魅力が足りていない。
まさに 産みの苦しみ というやつだ。
ここは 自分を信じるしかない。
The first ENG4WA brought together my friends, where good music
and conversation flowed seamlessly.
While I want it to be an open party, I also want to prioritise quality over quantity.
Since the space is limited, making it an invite-only event might be a good option.
I’d love to hold it every month, but with my solo exhibition coming up in May,
it’s something to think about.
As for the preparation for that exhibition, progress is being made,
but my new ideas are still only about 30% complete as actual works.
They’re mostly just concepts at this stage, lacking strong visual appeal.
This is exactly what they call the pain of creation.
At this point, I can only trust myself.
buna

ENG4WA
やっぱり、音楽とアート好きが集まる場を作りたくて、
不定期のイベントを企画してみました。
人が縁側に集まるように、情報や知恵を交換して、
輪郭がぼやけてたものが輪郭が見えたりする、
そんな未来を感じられる場になったら嬉しいです。
できるだけ、無理なく、続けていきたい。
buna

早く制作するリズムを作らなければ、と思っていたところ、
秋に計画していた個展が、5月中旬に早まり急いで準備をしている。
準備期間が少ないので、去年の6月に展示した作品をメインに、
新作を追加する内容になる気がしている。
前回のIndora’s net シリーズをもっと分かりやすく、
グラフィカルにしたVictor Vasarelyが代表するような
オプ・アート的アプローチを試してみようと考えている。
「深み」とか「宿り」を一旦削ぎ落としてみたくなっている。
でも、それらが「自分らしさ」なのでは?とも感じているし、
結局、逃げられないのかもしれない。
buna
I’ve been thinking that I need to get into the rhythm of creating faster,
and just when I was feeling that way,
the solo exhibition I had planned for the fall got moved up to mid-May.
So now I’m scrambling to get everything ready.
Since I don’t have much time to prepare,
I’m thinking it’ll mostly be works from my June exhibition last year,
with some new pieces added in.
For this one, I want to make the Indora’s Net series clearer
and more graphic—kind of like an Op Art approach,
similar to Victor Vasarely’s work.
I feel like stripping away the sense of “depth” or the spiritual essence
that usually inhabits my work. But then again,
isn’t that what makes my art me?
Maybe there’s no escaping it in the end.
buna

年が明けて、気がつけば二月。あっという間と言えばそうだけど、
流れが変わり始めている感覚がずっとあった。そして、自分でも変えていきたい。
「流れ」といっても、時代の流れのような大きなものもあれば、
個人的な「流れ」もある。それらが必ずしも一致するわけではない。
要するに、この世界にはさまざまな要因によって生まれる「流れ」があり、
自分でそれを作ることもできる。そのなかで、自分はどこに向かいたいのか。
それを意識しながら、流れに乗り、時には逆らい、
自分の目指す流れへと進んでいく。
だからこそ、「流れを読んで、乗る」ということに対して、僕は常に警戒している。
その流れがどこから生まれ、どこへ向かうのかを知らずに、
「とにかく流れに乗れ」と言うことはできない。
流れの先には、時として滝壺が待ち受けていることもあるのだから。
少し抽象的な話になったので、具体例を挙げると、
今、西洋思想の限界が指摘され、東洋思想への関心が高まっている(らしい)。
同時に、経済的にも“アジアの時代”が到来している。
この流れの中で、日本人の役割について考えることが増えた。
日本人のルーツである神道の世界観には、そこにヒントがある。
神道は、日本固有の自然崇拝や祖先信仰を基盤とする宗教観であり、
明確な教義や経典を持たない。
森羅万象に神が宿ると考え、自然や人との調和を重んじる。
また、神道の本質は「祓い」と「感謝」にあり、穢れを祓い、
清らかな心で日々を生きることが重視される。
この精神性こそが、変化の時代において日本人が
再び向き合うべきものではないかと思う。
神道を一言で言うなら、「感謝すること」。
buna
参考資料:『神道と日本人』葉室頼昭 著