都会の生活に疲れて、自然の中を歩きたくなった。
日本の夏の音を浴びながら、音楽も聴かずに歩いた。
頭を空っぽにして、ただただ歩く。
秋には山に行こう。
Tired of city life, I wanted to walk in nature.
I walked without listening to music, bathed in the sounds of the Japanese summer.
Empty my head and just walk.
I want to go to the mountains in autumn.
buna
インドはデリーのアーティストのTarini Sethiの展示会 ‘a memory of the future’
が9月13日より始まる。インドからのシッピングがギリギリになり、
ヒヤヒヤしたけれど、インドチームと協力して関係者への公開ができた。
会 期:2024年9月13日(金)〜 9月27日(金)*火曜定休
時 間:14:00〜18:00
入場料:無料
会 場:東京都渋谷区神宮前6-23-6 1F Galerie GEEK/ART
ユートピアを築くための
彼女が望む未来は、人間と自然、動物だけでなく、
性別やあらゆる差別も存在しない公平なユートピアだ。
インドでの性差別は、日本人には想像が及ばないほど深刻である。
そして、彼女が今最も関心を寄せているのは「身体」だ。
私たちは身体という入れ物に閉じ込められ、
その入れ物には性別や身分、国籍といったラベルが付随し、
さらに私たちを制約している。
しかし、彼女はその身体を、
ユートピアを築くための道具や武器として使えると考えている。
それは、芸術家が物理的に限られたキャンバスの中で、
自由に表現する活動に似ている。
限界があるからこそ、そこに無限の可能性を見出すのだ。
そうせずにはいられない。
彼女にとって身体は解放の象徴である。
自己表現を通じて、既存の枠組みや制約を超え、
新たな世界を想像し、
構築する力が身体にはあると彼女は信じている。
僕は、身体よりも精神や心にフォーカスしているので、
彼女の視点は新たな自分の課題となった。
buna
She envisions a future utopia free from all forms of discrimination,
not only between humans, nature, and animals,
but also regarding gender and other inequalities.
Gender discrimination in India is far more severe
than most Japanese people can imagine.
Her primary focus right now is on the “body.”
We are confined within the vessel of the body,
which comes with labels like gender, status,
and nationality, further restricting us.
However, she sees the body as a tool or weapon to build a utopia.
This idea mirrors how an artist,
within the physical limitations of a canvas,
finds infinite possibilities for expression.
The limits themselves spark creative freedom.
For her, the body is a symbol of liberation.
Through self-expression, she believes the body has the power to
transcend existing structures and constraints,
allowing us to imagine and construct a new world.
As for me, I tend to focus more on the mind and spirit,
so her perspective on the body has become
a new personal challenge for me.
9月になった。流れがきっと変わるだろう。
芸術作品の心理的効果に興味がある。
作品を観た人にだけでなく、
それを作り出した人に対しても同様だ。
なので、教育にも関心がある。
数年前に美大で講師をやらせてもらった体験は大きい。
いつかそういう職に就くことも頭にはある。
父親が教員をしていたので、
僕にもその血が流れているのかもしれない。
I am interested in the psychological effects of works of art,
not only on those who view them,
but also on the creators themselves.
Therefore, I am also interested in education.
A few years ago, I had a wonderful experience teaching at an art college,
and I often think about returning to such a role in the future.
My father was a teacher,
Maybe I have some of that in me.
buna
引き続き停滞感は続く。
気休めにドローイングを毎日し、
未完成作品に手を入れている。
近くにいる人たちには、
塞ぎ込んでいるように見えてしまうかもしれないけど、
制作モードになると、現実世界での視野が狭まり、
中で広がるような感覚がある。
うまく説明ができないけれど。
今は、立ち止まって、自分と向き合い
今後のことを考えるタイミングなのかもしれない。
The stagnation continues.
I do drawings every day for comfort
and work on unfinished pieces.
To those nearby, I may appear to be blocked out,
but when I am in production mode, my vision in the real world narrows,
There is a sense of expanding inside.
I cannot explain it well.
Maybe now is the time to stop,
face myself and think about the future.
buna
先の予定を立てたてる気がしなくて、
いつも前日や当日の気分で週末にやることを考える。
そんな気まぐれに付き合ってくれる友人が何人かいる。
本当にありがたい。
友人の志水くんが篁七有名義で個展をやっているので、
オープニングに顔を出してきた。彼の面白い友達も来ていて、
ギャラリーのTEKOKAのご飯と酒も美味かった。
志水くんと自分はかなりスタイルが違うけれど、
世界観が近い。
なので、時々会っては、情報交換と近況報告をしている。
彼は数少ない僕の芸術家友達だ。
お互い、時間のかかる表現の道を歩んでいるけれど、
まだまだ、これからだ。
25日のクロージングでは、ゆるくDJをさせてもらう。
お近くに来る際は是非、遊びに来てください。
My friend Mr Shimizu is having a solo exhibition under the name Takamura Shichu,
I went to the opening. His interesting friends were also there,
The food and drinks at TEKOKA gallery were delicious.
Shimizu and I have quite different styles,
But our views of the world are very close.
So we meet from time to time to exchange information and report on what’s going on.
We are both on a path of expression that takes time,
We have a long way to go.
I’ll be DJing loosely at the closing on 25th.
If you are in the area, please come and play.
篁七有(たかむらしちう)展 transmutation 〜変容と変成〜
2024年8月10日(土)〜8月25日(日)
営業時間:16:00-22:00
休廊日:水曜日
会場:手と花|TETOKA
住所:東京都千代田区神田司町2-16-8.1F
Tel:03-5577-5309
https://tetoka.jp/
英語の勉強のために、英文も追加してみた。
日々、勉強だ。
First I need light in my heart.
この停滞感はどうやったら消えるのだろう。
そもそも行き先を間違えているのかもしれない。
居場所を間違えているのかもしれない。
きっと今は、自分とまた向き合う時なのだろう。
自分が求める生活は、絵を描くことでしか実現できないのだろうか。
もしそうなら、絵を描くしかない。売れる絵を描くしかない。
それができないのであれば、別の道を探すしかない。
僕が描きたいのは、
人の心の奥の闇を照らすことができるような絵だ。
それが結果的に売れればいい。
ただ、この世界はそんな甘くないだろう。
人の心の前に、まずは自分の心に光が必要みたいだ。
How can this stagnation disappear?
Maybe I am going to the wrong place in the first place.
Maybe I am in the wrong place.
Perhaps now is the time to face myself again.
Is the life I want only possible through painting?
If so, I have no choice but to paint. The only way is to draw pictures that sell.
If that is not possible, then I have no choice but to look for another way.
What I want to paint is,
I want to paint pictures that can illuminate the darkness deep inside people’s hearts.
It would be good if they sell as a result.
But the world is not that easy.
It seems that before I can illuminate the hearts of others,
I first need to illuminate my own heart.
buna
先日、10代の頃に聴いていた日本のパンクバンドのライブを観に行った。
30年ぶりだった。ボーカル以外は全員メンバーが変わっていて、
今回は歴代のメンバーが変わるがわるステージに立った。
10代の頃の記憶が蘇り、いまだにステージに立つそのボーカルの姿を見て、
感動をすると同時に、あの頃の輝きはないことが残念だった。
自分が60代になった時に、こうなってはいけない。
そう誓って、僕はライヴの途中で会場を去った。
一気に進ませたいことに限って、思うように進まないことが多い。
その場で足踏みをしているようだ。
このままではいけない。変えていかなければ。
安定を求めて、変化を求める。
自分を高めない限り、たどり着けないところに自分が求めているものがある。
まだまだこれからだ。
buna
写真は、同志でもある絵描きの志水則友氏と。
彼とは25年前くらいに出会って、
去年くらいから、一ヶ月に一度は会っている。
毎回会うたびに、もっと日本文化について勉強しなきゃなぁと
思わせられる。
エアコンなしでは生活できない毎日。
5畳ほどのアトリエにはエアコンはなく、
展示から戻ってきた作品たちでいっぱいになっている。
その中には搬出途中に傷ついてしまったものもあり、
痛々しい姿のまま放置してしまっている。
未完成の作品が数点あるけれど、
とても展示前のようなモードで製作する気が起きない。
今思えば完全にゾーンに入っていたのだろう。
ある種の狂気だ。
今は、この数ヶ月かなり心身に無理をさせたので、
その疲れと、この暑さに体を慣れさせなければならない。
課題は、そういった疲れを取る術を知らないことだ。
buna
個展が終了してほぼ1週間。昨日搬出を終え、
我が家のリビングの壁やアトリエに作品が戻ってきた。
合計何人の方に観てもらえたのかわからないけれど、
それぞれの視線、思考、感情が自分の作品に蓄積されたような感覚がある。
それらが僕の作品の深み、強度になった気がして嬉しい。
そして、やっと予定のない週末を過ごしている。
映画を観て、読書をし、
部屋を片付ける。下手になりに片付ける。
そんな日常、生活に戻る。
思い出したのは、こんな日常に飽きているということ。
buna
今、やっと僕は少し明るいところにいる。
でも、いつだって、あの底に落ちる可能性はある。
ここを以前から読んでいただいている方は、
ある程度理解してくれると思うけれど、
この10年近く、僕は井戸に落ちたかのように、
底の方で生きてきた。
それでも、きっといつか。きっといつか。
と諦めずに、小さな光を見つけては、
その方向へ向かっていった。
今回の展示場には1つ、このような真っ黒な壁の部屋がある。
照明を意図的に落として、その「底」を表現し、
体験して欲しかった。
ここに到達するまでの過程を知ってもらうために。
buna
リビングまでがアトリエ化していたけれど、
今は、作品がギャラリーにあるので、部屋がスッキリしている。
あの数がまた戻ってくることになると、
正直、困る。
だからと言って、売らなければ!というテンションでもない。
「生活に余裕があるからでしょ」
と友人に言われたけれど、確かにそうかもしれない。
こんなことを言うと、ギャラリーに怒られてしまうけれど、
今回は、世話になっている人たちや、
友人たちにできるだけ安く、持って帰って欲しい。
なので、
少し頑張れば購入できるような値段の作品もある。
buna
【個展】Indra’s Net – Yamiterasu-
時間 12:00 〜 19:00
休館日 月曜日、火曜日、水曜日、木曜日
artstudio NAZUKARI WAREHOUSE
〒270-0145 千葉県流山市名都借827-3
https://nazukariwarehouse.wixsite.com/mysite-1
「闇は闇で追い払うことはできません。それには光が必要です」
— マーティン・ルーサー・キング・ジュニア
陰と陽はお互いに補完し合う対極的な力であり、どちらが『悪』というわけではありません。どちらも必要なものであり、バランスが取れていることが理想とされています。現代社会における「バランス」は多くの要因によって複雑なものとなっており、陰の力の割合が大きく、アンバランスになっていると私は感じています。では、私たちはその光をどうすればより強く輝かせることができるのでしょうか?
古代インドの哲学には、「インドラの網」という概念があります。無限に広がる宇宙の網で、そのすべての交点に輝く宝石があり、それぞれの宝石が他のすべての宝石を反射しています。これは、宇宙のすべての存在が互いに密接に関連し合っており、独立した存在ではないことを象徴しています。アジアには他に、中国の哲学の「陰陽」や、日本の「和」および「縁起」といった概念もあります。これらの概念も共通して強調されるのは、相互依存と調和の重要性です。
今回の新作シリーズ「インドラの網」では、私たちの「心」や「魂」を「光」と例えて、私たち一人ひとりが「光」の強度を上げ、反射し合うことで、光を増幅させて社会全体の陰陽のバランスを取ることに挑戦しています。
そして、冒頭のマーティン・ルーサー・キング・ジュニアの言葉には続きがあります。
「憎しみは憎しみを追い払うことはできません。それは愛だけができることです」
最近、chat Gptを使用することが増えた。
文章を書くときも文法や表現を相談している。
そして、毎回困っていたタイトルも今回からchat Gptに考えてもらった。
僕の文体とか、個性とか今は興味なくて、伝わればそれでいいと思っている。
アジアには、インドラの網以外にも、
中国哲学における陰陽の概念があります。
この概念は、すべてのものが相反する二つの力、
陰と陽から成り立っていると考えます。
これらの力は対立するように見えますが、実は相互に依存し合っています。
一方が存在するためにはもう一方が必要であり、
また互いに影響を及ぼし合っています。
前回書いたように、「私たちが思考や行動する際、
その結果が他の人や環境にどのような影響を与えるか」
を考えることが大切です。
さらに言えば、どうやったら人を良い方向へ導けるかということです。
では、「良い方向」とは何でしょうか?
人を導くというのは、おこがましい気もしますが、
結局のところ、自分が正しいと思うことをする、
ということなのでしょうか。
正しいことは場所や時代によって変わるため、
まずは視野を広げ、さまざまな人の「正しさ」を知り、
理解することが重要です。
buna
“Abyss 001”
2024
Size:F10 (530x455cm)
Mixed media on wooden panel
個展の日程決定
個展は6月1日から開催することにはなったけれど、
まだタイトルを考えれていない。
コンセプトは決めてあったものの、
こう制作を1年ちかくやっていると、
枝分かれしたり新たなテーマが入ってきたりしている。
それを早いところまとめないといけない。
最初の段階では、以下の「インドラの綱」がテーマだった。
2000年代以降、物質的な豊かさや経済的な成功ではなく、
精神的な豊かさを追求する心の時代が来るだろうと言われていた。
それが2024年の今、世界では分断と不確実性が強まっている。
日本だけで言えば、政府の暴走とも思える、
国民に耳を傾けない政策の数々で、不安が強まるばかり。
1人の人間が時代を変えることはできなかったとしても、
身辺何キロか、何メートルにいる人の日常を変えることはきっとできる。
そこで、1人の人間の言動や存在が周辺に与える影響を視覚化することを試みたかった。
そこで出会ったのがインドラの網(Indra’s Net)という概念だった。
これは古代インドの仏教とヒンドゥー教の宇宙哲学に関連する概念で、
宇宙の相互依存性と相互関連性を表現するために使用される。
インドラの網は、無数の宝石が結ばれた網として描かれる。
各宝石は透明であり、その中には他の宝石が映し出されている。
そして、それぞれの宝石は周りの宝石と相互に関連している。
したがって、1つの宝石が変化すると、他の宝石にも影響を与える。
私たちが思考や行動する際には、
その結果が他の人や環境にどのような影響を与えるかを
考慮する必要があるということを示している。
もう少し練る必要がある。
buna
2024 習作
平日は起きて寝るまで仕事をしてるので、
だいたい休日は、制作している。
自分の人生はこれで良いのか?と思うこともある。
しかし、6月の個展があるので、こんなものだと言い聞かせている。
最近会ったアートキュレター曰く、
「成功しているアーティストは自分の作品の価値を理解している」
らしい。
もちろん、この場合の価値とは文化的なそれだけでなく、
市場のそれなのだろう。
アート作品の市場価値は、いくつかの物差しで測られる。
例えば、芸術史の中で、何かしらの脈略の上にあるか。
もちろん、突然変異で現れたようなものであれば、
それは凄いことではある。
だとすると、自分はどこの脈略にいるのか。
これを専門家がしてくれない場合、
自分で説明しなければならない。
はて。そろそろここに書きながら、
言語化していかなければならない。
buna