QUEST FOR THE CENTREPIECE by buna

2023 BEST ALBUM

2023年、ベストアルバムというか、よく聴いていたアルバム。
自他共に意外なのが関西を拠点とする女子3ピースバンド、カネヨリマサル。
Drexciyaはこの年齢になってやっと理解できたテクノ。







このモードで


このモードで突っ走りたい

「お前の作品は日本ではカッコ良すぎる。
もっとダサいモノを差し込まないと」
そう、親愛なる先輩に言われたけど。
絶対にそんなことは意識的にはしない。

そんな僕はまだ、界を視野にコツコツと制作している。
日本国内では、小さなシーンで中途半端に指名度はある。
何か成し遂げたような言動はカッコ悪い。
謙虚な姿勢は大事だ。

ただ、世界を視野にしているもので、
趣味レベルでやっている人に優しくできないモードになっている。
少し反省しつつも、今は、このモードで突っ走りたい。

人との付き合いには、距離感が大切だ。
今は、同じレベルで話せるか、
もしくは、アートや音楽に関係ない人と会いたい。

でないと、嫌なやつになって、噛みついてしまう。

buna

宿っているか

 

“Indra’s Net No.001”
Year:2023
Size: 727×606mm
Silk screen printing on paper/wooden panel/


宿っているか

新作が完成。新シリーズと呼べるものになるだろう。
構成主義と日本的精神性が融合を更に一歩、
またはそれ以上に進めれたような感触がある。

「宿すこと」を最も意識した。
人が拝みたくなるような何かを宿すこと。

そして、歪みとバランス。
失敗を失敗のままにせず、
それを有意義なものに変えること。

シルクスクリーンで制作しているので、
刷ってしまえば良いのだけど。

敢えて、刷ったものを一枚一枚切り貼りしている。
でなければ、機械的で味気ないものができてしまう。
そもそも、不器用なので、なかなかきれいに刷れないのだ。

このシリーズ、6月の展示会に展示する用に、
最低でもあと3枚は作成する。

ネクストレベルに到達した気でいる。

buna

新鮮な気持ちで

シルクスクリーンという自分にとって新鮮な技法を取り入れることで、
今までの自分のスタイルから抜け出した絵が生まれつつある。

デジタルで作っていた作品を、アナログに変換することで、
アナログならではの、何かが注入されたように感じる。

自分のデジタル作品の99%は元々、手書きの作品なので、
元に戻したことになる。

また、20年以上、和紙に描いてきたけれど、
パネルに水張りなどもしていないので、
どうしても皺ができてしまう。
通常、裏打ちをしてその皺を伸ばすのだけど、
コラージュもしているため、裏打ちはできず。

人様に見せるには、残念な状態だということになり、
今回からパネルにかくことにしたのだった。

なので、新鮮な気持ちで制作している。

buna

世界はこのまま壊れていくのか


暑さに耐えていたら、あっという間に冬が来てしまった。
充実はしているけれど、
6月にコロナを患って寝込んでから体力が更に落ちた気がしている。
そろそろ体力をつけることを真剣に考えないといけない。



世界はこのまま壊れていくのか。

ウクライナや中東で起きていることは、
どちらが正義なのか、自分には判断ができない。
ただただ、世界が更に壊れていくような感覚が増していてる。

同時に悲観的な思考が、
更に悲観的なものを引き寄せてしまいそうなので、
その壊れた感や危機感に乗り込まれないように気をつけている。

全ての情報をシャットダウンするということではなく、
むしろ例えば、イスラエル、パレスチナで起きている虐殺の情報に飛び込み、
そこに自分がいると想像する。

そして、そこにある恐怖と怒りと悲しみ。
匂いや口に土埃が入るところまで想像してみる。
僕らアーティストにはその想像力がある。

日本にいながらにして、「世界」を感じるには、
そこまで意識にする必要があるようだ。

先に書いたように、それでもダークサイドには落ちない。
ブライトサイトをできるだけ増やせるように意識したい。

こういう変化が最近の自分に起きたこと。

P.S
The Low Anthemのこのあたたかい曲をレコメンドしたい。

buna

何かの扉が開いた日

いつも僕にインスピレーションをくれる友人たちとの再会、
そして、現代の電子音楽にとって重要な存在の彼らと会えたことが、
その時間が退屈なわけはなく、今まで生き抜いてきた自分を褒めてやりたい。

8月17日
貴重な時間をここに記しておく。
いつか、振り返った時に、
何かの扉が開いた日、
もしくは開いたことをあらためて確認した日になるかもしれない。

buna

感動がない。

ギャラリーのオープンの準備もあり、
アーティストと話すことが増えている。
その影響もあり、制作を再開。

ただ、そう言い切れるのかは、
来週の今日になってみないとわからない。
何しろ、気分がのらない。
こうすればこうなる。
そして、どう描いてもいつか試した構図と色使い。
感触も既に経験済み、感動がない。

これをクリアするには、新しい何かが必要だし、
日常に感動がなければならないと思っている。

そろそろあれを試してみよう。

buna

ねぶた祭り

その理由を忘れるくらい、かなり前から見てみたかったねぶた祭り。
青森に転勤中の兄に、特別最前列を用意してもらった私と両親は、
2時間の間、ねぶた祭りを堪能した。

この無病息災を祈るための祭りは、諸説あるけれど、
中国から奈良時代に伝わった七夕祭りと、
津軽にあった精霊送り、人形、虫送りなどが融合し、
発展したものだという説が有力なようだ。

ダンスミュージックがそうであるように、
音楽と踊りは、人々の心を無心にして一つにする効果がある。
これが祭りであり、芸術の本質的な目的だという考えが更に強まった。

buna

それぞれがそれぞれの場所で闘っている


この暑さの中、外出する気にもならず、エアコンの効いた部屋で過ごす毎日。
夏らしいことは8月に計画中。


それぞれがそれぞれの場所で闘っている

ギャラリーを立ち上げることになり、アーティストを集める一方で、
その運営とアート業界の勉強をしている。
初めてのことなので何から始めて良いのか、手探り状態なので、
その道の経験のある方に話を聞かせてもらっている。

このギャラリーは、アーティストが制作を販売し、その販売利益で生活をし、
また制作に集中できるというエコシステムを作ることが目的の一つにある。
なので、売らないといけない。

これがどんなに難しいことなのかは、身をもって体験している。
「売ろうと思わなければ売れない」といつかある人が言っていた。
そんな中、運よく日本を代表するアーティストのスタジオの見学の機会に恵まれた。
そこで見たものは、工場だった。

工場や倉庫で働いた経験のある僕としては、新鮮さはなかったのだけれど。
「売れるものを作る」「売るために作る」という姿勢が大きく僕とは違かった。
純粋芸術がどうのと言うつもりはない。
それぞれがそれぞれの場所で闘っているだけだ。

その人も、数百人のアシスタントを24時間のシフトで働かせ、
毎日数百万近くの製作費が消えていく。
そんなプレッシャーの中で闘っているあの人を尊敬をする。
言ってみれば、僕らの日本人アーティストに希望を見せてくれている1人だ。
勝ち方や生き様を見せてくれている人だ。

続く

buna

【映画】Le choc du futur (The Shock of the Future)


コロナ禍を無事に乗り切ったと思っていたら、
第9波にやられてしまった。
オミクロン株でここまでしんどいのだから、
以前の株がどれほどしんどかったのだろう。


Le choc du futur(The Shock of the Future) 2019

倦怠感が酷く、音楽が聴きたくなかった。
これは本当に珍しいこと。

なので、大半の時間を映画やドラマを目を半開きで観ながら過ごした。
(残念ながらできる限り仕事もしなければならなかった)

陽性という検査結果が出てから9日後、
やっと目を全開で観ることができるようになり、
『The Shock of the Future』というフランス映画を観た。

1970年代後半のフランス、
新しい音楽の可能性を探る若き女性ミュージシャンが、
ある日、日本製の電子楽器に出会い、
理想のサウンドを見つけるという1日を描いた映画。

レトロなごっついシンセの前に
女性がいるという絵だけで電子音楽好きとしてはたまらない。
映画としてはとくにわかりやすい起承転結もない。
でも、フランスの文化水準の高さを感じることができる。
そして、クリエイティヴになれた映画だ。

buna

出会う場を

ギャラリーの立ち上げプロジェクトをしている。

アートをビジネスにする難しさ。
そして売るために作ることへの戸惑いが少しあるものの、
人が喜んで買ってくれることは悪いことじゃない。
料理人だって同じじゃないか。

アーティストと出会える場はどこにあるのだろう。
あなたと会えるのはどこですか?と聞かれたらなんと答えよう。
あそこに行けば会える。なんて場所はない。
あったとしても、話しかけられるのだろうか。

そもそも、人と人が出会うというのは、
ある種の奇跡なのに、なんとなく出会ってしまっている。

話が外れたけど、まずは自分自身が誰かと出会いやすくすることからだろう。

というわけで、色々なところに顔を出そうとしている。
しばらくは東京エリアになってしまうけど。

buna

環境を整えている。

もっと音楽を楽しみたいけど、思うようにはいかない。
せめて自分の部屋ではと、環境を整えている。

複雑だ。

先日、世界的に評価されている音楽家の友人が、
DJにイラついていた。
何故なら彼ら彼女らDJは、人がつくった曲をかけてチヤホヤされ、
まるで自分が作った曲かのような振る舞いをするからだ。

そんな器の小さなことを言うなよと。
その時は言ったものの。

これはアートコレクターや、キュレター、ギャラリストにも言えて。
自分が作品をつくれないのに、アーティストの作品に対して、
偉そうな言動している人を見かけて、
同じような感覚になった。

もちろん、そう言う人たちに認められないと、
知名度も、アーティストとしての市場価値も上がらないわけで。

複雑だ。

buna

ただ感じるだけ

 


ろくに桜を眺めることもせずに春を迎えてしまった。
全体的には順調に進んでいるはずなのに、
不安が残る。不安を感じるのは僕の才能かもしれない。


ただ感じるだけ

芸術家がどのような気持ちで、その作品を作ったのか。
それを知らずに、そこに関心を持たずに、
アートが理解できたと言えるのか。

表面的な綺麗さと面白さだけを楽しまれて、
僕らの作品は消費されていくのだろうか。
そんな考えが浮かんで、虚しい気持ちになった。

ただ、僕が音楽を聴くとき、
その曲がどんな心境の時に作られたかに、
興味はあったとしても、
ほとんどの場合、知ろうとはしない。

ただ感じるだけだ。

それはアートも同じで、
僕らがどういう心境でとか、
考えで描いたなんて、
頭で知ろうとなんてしなくて良くて。

むしろ、観た人がそれを描いた人の
心境や世界に誘われて初めて本物の作品なのかもしれない。

buna

そこに吐き出したい何かがあるのか

僕が10代の頃に影響を受けたパンクカルチャーは
楽器がろくに弾けなくても、
吐き出したい感情やメッセージさえあれば、
誰でもが表現ができた。

今話題のAIアートも、誰でも作れることから、
パンクカルチャーに似た既存のシステムを破壊することが可能だ。

ただ、そこに吐き出したい感情やメッセージが
感じられないものが多くて、僕の心には今のところ響かない。

buna

展示会終了

「芸術的なものが(本物の)芸術を見えないようにしている」
確か、白州正子さんの言葉だったと思う。
この言葉が最近、よく頭に浮かぶ。
もちろん、僕は本物でありたい。


SHIBUYA NFT ART JUNCTION 2023

先週末の展示会は、
悪天候と
NFT周辺の盛り上がりが落ち着いている
タイミングもありましたが、
去年と同数の来客数になりました。

今話題のダンサーのアオイヤマダさんと夢無子さんのパフォーマンスも
見応えがあり、展示会のメインのコンテンツとなっていました。

デジタルアートにとってNFTのような、
証明書は今後は必要になります。
暗号通貨が絡むとハードルが高くなるし、
購入してもどう楽しめばいいのかもわかりません。
その選択肢を増やすことも課題です。

まだまだ初期段階の技術、今後どうなるのでしょうか。

どうあれ、今の僕はアナログの絵が描きたい。
そして、少し休みたい。

buna

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