QUEST FOR THE CENTREPIECE by buna

Archive for 2014.5

【Book】『女のいない男たち』村上春樹




話題の村上春樹の新作『女のいない男たち』を買いました。
友達の誕生日プレゼントだったんですが。既に買ってしまったことがわかり・・・。
我が家の本棚に永住することになりました。

『女のいない男たち』村上春樹

この新作は短編集で、タイトルからもわかるように、
女に去られた男の話が集められています。
内容は敢えて書きません。

恋愛って、人の心を強く揺さぶるものなので、
自分を見失ったり、知らなかった自分と向き合うことになります。
そして、その人の本性や生き方が色濃く出ますね。
「たまには下世話な恋愛の話もブログに書いたらどうか?」
と友人に言われたことがありますが、考え中です。
人の心や生き方に関心があるので、テーマとしてはずれてないんですがね。

印象に残った文章は、恋愛についてではなく、
酒を飲む人間には2つタイプがあって、
何かを付け足す、得るために酒を吞むタイプと。
何かを取り除くために、浄めるために吞むタイプの二つがある。
何故か、そのような内容の文でした。

自分は後者ですね。
酒は好きですが、なければ生きていけないというほどではないです。
“良い会話”の脇役としてあればいいっていう感じです。

恋愛に苦しむのは、そろそろ卒業したいものです。
独り身の皆さんに良い出会いを(苦笑

buna

Best Friend of mine




SNSの影響で、友人が何をしているか。なんとなく把握している気になってしまいます。
以前であれば、アイツはどうしてるだろう。そう思いお互いに電話をしたり、メールをして、
近況報告をしたりしていました。そうやって自分のことを気にかけてくれていることを
知ることができて、嬉しかったものです。
また、近況報告をすることで、今の自分の状況、心境を客観視することができました。
自分にはこのブログがそういう役割をしていますが、一方通行なものなので、
やっぱり時々連絡してみようかな。そう思い連絡しはじめています。


Best Friend of mine

一年に一度会うか会わないか。という友人が何人かいます。
物理的に遠かったり、会うタイミングがなかなかつくれなかったり、理由は色々です。
仲が悪いわけではなく、かと言って仲が良い。のと少し違う。
でも、大切な友達であることは確かで、うまく言えないのですが、
そんな友達のひとりが現在青山にて個展をしています。

自分も初日に顔を出して来ました。たくさんの人が入れ替わり立ち代わり忙しそうだったので、
ほんの3、4分間くらいですが、かるく近況報告をしてきました。
いつ会ってもと言うくらい目が輝いている人で、
久々に会ったのこともあり、なんか照れくさかったです。

車のCMに出演したり、いくつかの女性誌にも取り上げられているので、
見たことがある人もいるかもしれません。彼女とは高校からの付き合いで、
10代によくある青臭い悩みを抱えていた自分は、よく相談にのってもらったものです。
本当に辛いときに救ってくれたことは、やっぱりいつになっても忘れることはないです。
なので彼女の活躍は、少し遠目ではありますが、見ていてとても嬉しいです。

展示会の詳細は以下です。
2014年5月22 日(木)~28日(金)/May22nd-28th
http://www.one-be-one.com/
http://yukookazaki.com/

ポスト・クラシカルの新星


Ólafur Arnalds – Raein アルバム『Found Songs』より(2009)


晴耕雨読(せいこううどく)という言葉を知ったのは中学受験の勉強をしていた頃。
晴れた日は畑を耕し、雨の日は読書をする。これを雨の多い英国で言ったら、
毎日のように読書することになるじゃないか!と言われるでしょうね。
要はせかせかせず、心にゆとりのある生活を表した言葉なんでしょう。


ポスト・クラシカルの新星、Ólafur Arnalds

Ólafur Arnalds(オーラヴル・アルナルズ)はアイスランドはレイキャヴィーク作曲家、演奏家。
数年前からポスト・クラシカルというジャンルがあり、この方もそのジャンルに属する一人です。
日本では“クラシック”と言うことが多いですが、英語では“クラシカル”と言います。
“クラシック”と言うと素晴らしい!みたいな意味になるようです。

アイスランドのアーティストというとやっぱりBjork(ビョーク)がまず思い浮かびます。
その他にもここ10年くらいで多くの世界レベルで知られるアーティスト、グループがいます。
例えば、mum、Amiina、Sigur Rosなどです。彼ら彼女に共通しているのが、シンプルさと透明感です。

このÓlafur Arnaldsもピアノとバイオリンなど、少ない楽器で透明感のある美しい音楽を奏でています。
今日のような雨の日に、天候が悪いこと以外で、理由のわからない憂鬱さを感じているときには
ぴったりな音楽です。ちなみにこの映像はファンのつくったもので、奇麗な写真が使われているので、
時間のあるときにでも観てみてください。

さて、アメニモマケズ。仕事と制作をします。

buna

まるで蟻とキリギリス




歳を重ねると、それまで人生をどう生きたが、その人の顔に現れると言います。
これが本当なら怖いですね。整形でもしない限り嘘はつけませんからね。
同じように40代は、それまでの生き方の結果が、色々なかたちで現れる時期のようです。
ある人は身体の故障として、ある人は今までの努力が報われたり。など。
そんな40代を目の前にした、30代後半での決断はこの先の人生を大きく左右するものになり、
以前のそれとは重みが違いそうです。

今回は小説風に書いてみてみます。



まるで蟻とキリギリス

人で賑わう初夏の昼過ぎの街を歩きながら、
「これだけ街に人がたくさんいるのに、私がドキドキする人はいないわ」
友人Aは少し寂しそうに、何かを確かめるように言う。
そうなんだよね。と自分は大きく頷きながら無関心を装って答える。

数ヶ月間も音信不通の彼氏の存在。それが最近の彼女の悩みの一つだった。
「もう死んだものとして考えようと思って」
きっと時間が解決してくれる。そうとしか言えなかった。
場合によっては、時間が解決してくれないこともある。
もう何年も音信不通のイラストレーターの友達Yを思い出した。
育児ノイローゼになりかけていたことまでは、最後のメールのやりとりで知っていた。
奥さんは小柄な人で、セレクトショップで働くかわいらしい人だった。

「あの人には私しかいないのよ」耳にすると息苦しくなる言葉だ。
本人達がそれで良いのなら構わないのだけれど。
相手から大切にもされず、愛されてもいない場合、これは悲劇にしか思えない。
誰が言ったのか覚えていないけど、突き放すのも“愛”らしい。
「自分の存在が、相手を弱いままにしているかも。そんな風に考えたことはない?」

今まで時間と金があれば海外に行き、悠々自適に羽をのばすという、
理想的な人生をおくってきたらしい。
「自由を愛するが故に、こんな歳になっても結婚できなかった。
というか、結婚したいとさえ思っていないし。
そりゃ、結婚したいと思えるような人に出会えれば話は別だけど。
今は一緒に出かけてくれる人が欲しいだけ」
かるく頷いて聞いていると太陽が雲に隠れて、暗くなる。
「40代の女性が結婚出来る可能性は10%なの知ってる?」
知るわけがなかった。

人生はそんなにうまくはいかない。
友人Aは現在過労で倒れて療養中。貯金は全て医療費に使われている。
20代で結婚した彼女の友人たちは、子供が成人したことで自由を手にし、
旅行など、好きなことをしはじめている。蟻とキリギリスのような皮肉な話。
自由に生きてていいね。と言われる自分にとって、これは他人事ではなかった。
もちろん実際、自分が自由に生きているかどうかは別として。

「お互いに幸せが来るといいね」と言ってその友人は帰っていった。
まるで隣の部屋の会話が漏れてきたかのように。何故かその言葉が凄く遠くに感じた。
もはや自分が世間でいう“シアワセ”を手に入れたいと思っているかさえわからない。
ただ、シアワセを感じる瞬間がときどきあって、それがあるから生きている。
仕方ないから生きている。

buna

38 – 信じる一歩を –




38 – 信じる一歩を –

10日で38歳になってしまいました。とても充実した良い誕生日を過ごせた一方で、
40代は重くのしかかりますね。あと2年をどう過ごすか。
芸術家としては60歳であるレベルに達していたいと考えていますが、
一人の人間としては40歳。40代でしょうね。今までそんな風に考えてきませんでしたが、
それを考えるきっかけになる出会いや事柄がありました。

なんとかしなければと。自分なりにはやってきたつもりですが、
踏み出してみたものの、その一歩をいつも振り払われてきました。
それでも生活はできちゃってましたから、
その状態に甘えていた時期もこの2、3年あったとも思います。
311の影響もあり、明日どうなるかわからない。
一歩踏み出しても、振り出しに戻ってしまうかも。そんな不安もあったとは思います。

どうあれ、もっとこうすれば良かったとか、ああしなければ良かったと、
後悔しても仕方ないので、これからどうするかです。
また、後悔することを恐れず、自分にとって大切なものを見失わず、
一歩前に踏み出す。信じて選択した一歩であれば、それが失敗に終わろうが、
振り出しに戻ろうが、きっと後悔することはない。そう信じようと思います。

buna

根底にあるアレ




根底にあるアレ

今週の土曜日に誕生日を迎えます。
40代が自分に押し迫っている。正直、そんな焦りが少しあります。
世間の時間の流れとは、違う流れで生きていることは受け止めていますが、
少し隔たりが開き過ぎているような気がするのです。

前に進むスピードは人それぞれ。でも、そろそろそのスピードを上げたく、
思いつく限りのことをやりはじめています。積極的になりきれないのは、
10代の頃から劣等感を心に蓄積してしまっていて、
どうやら負け犬根性が根底にあるようです。

それから解放されるためには自信を持つことが必要で、
それも他者から“認められる”ことで得られる自信、
それが今の自分には必要なんだと思います。

人に認められたい!なんて格好悪い。
これまでそう思ってきましたけど、きっとそれも“認められない。受け止められない”
そんな負け犬根性が影響していたのだと思います。
でも、まずは自分を自分が認めることが先に来た方が、ブレないようには思うのです。
人の評価が先に来ちゃうと、流行廃りのあるこの世の中、
いつも周りの評価に振り回されることになっちゃいそうですし。
ただ、本当に自分を信じたり、認めるには、自己からと他者からの両面からの
承認が必要なのかもしれません。

というわけで、40代に向けて、モテるようにがんばります(嘘)

buna

強度のある時間を





どこも人で込み合っているので、出かけないのがいつもの自分のGWの過ごし方です。
そんな自分ですが、今年は鎌倉と江ノ島へ。コースを考えればいつもの静かな鎌倉を
楽しめることがわかり、GWに行くところがなければ鎌倉も悪くないです。
気がついてみれば4、5年前にもGWに鎌倉に行ったのですが、
そのときも人混みを気にした記憶はありません。


強度のある時間を

熱く語ることや、“重い話”が避けられがちだと、
それは10代の頃から薄々感じてたことでした。
最近読んだ『日本の難点』宮台真司著によると、
社会学的にもそういう時代の風潮が語れており、
本気で人に話し、本気でその話しを聞く機会が減ったということです。

これは社会の変化や日常のスピードや忙しさも関係していて、
人とそこまで濃密な時間を過ごせないし、過ごす心の余裕もないのだと思います。
なので、気が重くなったり疲れる背を向けたくなる会話よりも、
浅く広く、氷面をすべるように浅い会話を求めて次々と乗り換える。
流行のフレーズや服装をみにつけて、SNSで繋がって“仲間”、“みんな一緒”と感じて、
強度のない会話をするスキルだけが磨かれ、
なんとなく楽しい時間を過ごす。
そんな人が増えたてきたのかもしれません。

本気で人の話を聞かなくなるということは、
自分の話も本気で聞いてもらえないという悪循環になります。
これは家族や地域でもそうで、人間関係の軽薄化に拍車をかけ、
コミュニティがバラバラに断絶、
または乾いた空気の流れる距離ができるのではないでしょうか。
実際、誰かに相談することができたらば、こんなことにはならなかっただろう、
そう感じる悲しい、淋しい事件が世の中にはたくさんあります。

でも、一方自分は軽い会話に対しての忍耐力がないので、
それはそれで問題です(苦笑)

buna

憧れについて




前回に続いて、具象を描いた作品をアップします。
これは友人の個展のDMに使われたものを、観ながら描いたものです。
その友人の絵はこちらで観られます→ http://www.yawoyorozu.com
観て頂ければわかるように形状だけをきっかけにさせてもらったので、
まったく違うものになっています。
人生という苦にもがきながらも、一歩でも前に進もうとしている。そんな印象があります。
“スピードは重要じゃない。一歩でも前に進むことが最も重要だ。焦るな。
ただ、進むスピードが遅かれ早かれ、
その自分のスピードで何かしら失うモノと得るモノがあることも覚悟しろ”
そんなメッセージを自分の作品から受け取りました。
もしかしたら、具象というのは伝わるメッセージも、具体的になるのかもしれません。
そんな当然と言えば当然の気づきがありました。


憧れについて

次のレベルに自分を持って行く話をしていた際、
ある友人に「“憧れ”を捨てることだね」そう言われたことがあります。
確かに、周りを見渡してみると憧れるだけで終わっている人が多いように思います。
なので、その友人の言わんとすることを正確に言葉にするなら、
“憧れを憧れのままで終わらせてはいけない”ではないでしょうか。

好きなものに影響されるのが嫌で、それに背を向けるのは、
自分にも経験があります。でも、恐れることはないのでしょうね。
それがもし本当に好きなものなのであれば。ですが。

人が成長するうえで、この憧れというのは、鍵や道しるべになります。
例えば、“凄い!この人のように成りたい!”
そう感じる人と出会うとします。そういう場合はできるだけその人(や作品)に接して、
とことん影響を受けてしまえば良いのです。それを憧れや真似で終わらせずに、
自分の血肉にして、しっかりと“自分らしさ”にしていく。それが大切なんだと思います。

buna

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