
2610(2009)
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先日のホームパーティーを境に、作曲に興味が出て来てしまい、
まずはipadのアプリで試してみようかとかなり乗り気になってきています。
たぶん一過性のものだと思うので、あたたかい目で見守って下さい。
ただ、瞑想をする助けとしてやりたいようなので。
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「自分がどう人に見えようが気にしない」
これは先日ある友人が言った言葉です。
聞こえは格好良く聞こえるかもしれませんが、
無責任な発言に思えて絶句してしまったんです。
時として、たとえ格好悪くても我武者羅に何かをやらなければいけないときがあります。
そんなときにこういう言うのであれば、格好良いと思うんですよ。
でも、その友人は変わることを拒絶し、今の自分にあぐらを組んだ甘えた発言だったんです。
それを聞いていて、自分もこういうことを、同じようなことをしているかもしれない。
そう省みてしまったんです。
でも、例えば「30代後半で独身だなんて恥ずかしい!」なんて言われ、
「どう見えようが気にしない」そう答えても良いじゃないでしょうか。
駄目ですかねぇ。
buna
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「酒が人間をダメにするんじゃない。
人間はもともとダメだということを教えてくれるものだ。」
そのようなことを言ったのは最近亡くなられた落語家、立川談志です。
自分も酒を吞むと無責任になるので、やっぱりほどほどが良いんだな。と感じています。
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少し仕事が落ち着いてきたので、
遅めの新年会という名目で我が家に友人たち20人弱を呼んでやりました。
ホームパーティーと言うとどうも上流階級のような印象を持たれそうですが、
庶民的な安い鍋パーティーです。
この人数なので、生姜鍋、豆乳鍋、キムチ鍋にビーフシチュー、
そしてホットケーキを予備でつくれる準備をしました。
特にグルメというわけではないのですが、来た人に楽しく過ごしてもらいたいという、
思いで、なるべく美味しく食べてもらえるようにやっています。
もちろん、全ての友人を家に呼ぶことはできないので、
お互いに馴染みそうな人や「千葉は遠い」と言わない人、
近場の友人を優先に選んで声をかけています。
クラブイベントでも、街でもこれは同じなんですが、
そこにいる人がその場の空気、空間をつくっていくんですよね。
楽しく欲しく過ごしてもらいたいので、
後日、楽しかった。美味しかった。という言葉が届くと安心しますし、
やって良かったな。と思います。
次回はまた少し暖かくなったときにでも。
buna
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AOKI takamasa、Bun、NHK、Kyokaという豪華な電子音楽家による国内9箇所をまわる
abkn(アブクン) set tourと名付けられたツアーが今月国内10箇所で行われました。
どのアーティストも国内だけでなく、海外でも非常に高い評価を得ている人たちです。
また、このようなツアーが行われるのも、自分が知る限りではなかったように思います。
本当に羨ましいほどに楽しそうでした。その様子は以下で窺い知れます。
http://abkn-set.tumblr.com/
自分もこういうことが国内でしたいものです。が、何でやりましょうかね。
普段オールのイベントに行くことは滅多にない僕ですが、
前回のNHKのKouhei Matsunagaくんのライヴに行けなかったこともあり、
先週の土曜日は渋谷WWWへ遊びに行きました。
途中物販を手伝ったのでちゃんと聴けたのはBunさんのライヴだけでしたが、
久々に音に全身全霊を任せられる、強度のある時間を過ごさせて頂きました。
やはりBunさんの今後がかなり楽しみです。
そして最終日の横浜Galaxy終了後、オーガナイザーの方が、
はるばる二時間近くかけて市川駅まで。
そして自分が市川駅にて朝方3時半にKouheiくんとAOKI Takamasaくんを車で拾い我が家へ。
これがAOKIくんとの初の対面でした。(実際はWWWで挨拶はしてたんですけどね)
Kouheiは関西在住なので、こちらへ来るときは最近は我が家に滞在していて、
いつも良い刺激をもらっています。今回の置き土産はトイレの掃除グッツでした。
buna
群馬にて撮影(Geskia!”Silent Of Light”のアートワークに使用した写真)
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311後にTwitterはかなり情報収集をするのに役に立ちましたし、今でもそれは変わりません。
それが最近は、その情報の扱い方、発信の仕方に戸惑っています。
理由はおおまかに以下の3つの理由です。
1)情報過多
ただでさえ情報過多なところに、更に自分が情報を増やすことに躊躇してしまうこと。
2)フォロアー
それほど自分に興味がない人だったり、好意的ではない人もフォローしているので、
そういう人の存在を意識してしまうと、ツイートしにくいこと。
3)コミュニケーション・ツール
実際はコミュニケーションを取れている実感がないこと。
以上の3つです。
Twitterを利用する目的は、情報収集と情報(メッセージ)の発信、コミュニケーションを目的としているので、
それができる方法を考え始めています。もし、それを始めた際はここでだけお知らせします。
buna
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「言葉で説明できないから、音や絵でそれを表現している」
これはよく“アーティスト”の口から聞く言葉です。
これは正論だとは思うのです。
ただ、言語化やもっと言えば自分自身から逃げるために、
こういう発言している場合も少なくないように思います。
例えば、何かに頭をぶつけたとして、「痛い!」というのは表現ではないわけです。
これは表出です。周りに誰もいなくても出てしまう言葉です。
この痛みを相手(誰か)に伝えたいと思って始めて表現になると考えています。
一方で、表現したいことを言語化することで誤解されてしまったり、
逆に伝わらなくなってしまうこともあるので、
自分の中で言語化しておけば良い場合もあるようです。
ここで最も大切なのは、
相手に伝えたいことが伝わっているかいないか。
もしくはもう一段階下げると、伝えようとしているか、いないか。
ということでしょう。
buna
千葉県の最南端にて
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今朝、最近あの友人から連絡が来てないな。そんな風にコーヒーを入れながら考えていると、
その後30分後にその友人から電話が来ました。そんなことってありますよね。
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今の自分がどうしてこういう考え方をするようになったのか、
またはこういうスタイルの絵を描くようになったのか、
何年も経つともうわからなくなります。
ただ、それらを聞かれることが徐々に増えて来たので。
過去を振り返る必要が出てきています。
というわけで、8年前から書いているブログを読み直しています。
今よりも更に拙い文章で書かれたその言葉には、今の自分にはないものがあり、
はっとさせられます。以下、予定外にも英国から帰国して、
ここ日本でどう生きようかともがいた時期(2005年4月5日当時29歳)
に書いたブログを編集したものです。
「日本という巨大なシステムに僕らは飲み込まれ、
人間ではなくただの部品となる」
「生きたい人生とはどんなものなのか、
それを考える時間が今の僕には必要だ」
実はその日本というシステムも、世界というシステムの中の部品でしかなく、
もっと言えば宇宙というシステムの部品でしかないということは、この段階では気づいていませんでした。
要するにシステムから逃れることはできないし、そのシステムの中で自分の部品としての役割を見つけ、
それを生き抜くというのが、人生の本質なのではないかと今は考えています。
buna
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どうも一日が過ぎるのが早いです。きっと起きるのが遅いのでしょうね。
さて、ちょっとバタバタしているので一息入れてリズムを整える必要がありそうです。
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先日ここにも書いた対談が公開されたので、その報告です。
『Silent Of Light』リリース記念鼎談! Geskia!×buna×leno
http://ototoy.jp/feature/index.php/2013020101/1
もっと話したいこともあったのですが、それはまたどこかでできたらと思っています。
それでは時間のあるときにでも読んでみてください。
buna
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2013年、今のところ順調。創作意欲も高まってきている。
いつか親友がメールで書いてくれたことを思い出す。
“絵が描けなくなったのではなく、絵を今は描く必要がないだけだよ”と。
描くにも理由があれば、描かないことにも理由があるんだろう。今はそう思える。
でも、今年は描く。そんな気が何故かしている。
その友人にもう連絡が取れないのが残念だ。
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友人のグラフィックデザイナーの勧めで、確か去年購入したintuos4。
これを使うと画像処理やデジタルでの作品づくりに凄く役に立つらしい。
でも、長年マウスを使ってやっていたので、少し触っただけで苛立ってしまった結果、
棚の中にしまい込んで、その存在すら忘れていた。
先週たまたまその友人の手伝いをすることになり、
まともに寝ずに約一週間ぶっ通しで触ったことで、ようやく慣れることができた。
これでまた表現の幅が広がりそうで少し楽しみ。
良い作品をつくってその友人に“お返し”をしなきゃなと。
追伸:
やっぱりこういう文体の方が書きやすいな。
buna