
Photo by Miyamoto
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呆れてしまうのだけれど、部屋の掃除をしていて最後の最後に力尽き、
掃除機が部屋のど真ん中を占拠したまま数日過ごすことがある。
あともう一歩、もうひと頑張りができないのだ。
これは絵でも生活全般、DJでも言える。
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もうひと頑張りが
ぎりぎり先月のことになるけれど、柏でやったイベントでの自分のDJは、
家でやってろ。と言われてもおかしくない内容だったかもしれない。
でも“どれだけ自分をクリエイティブにさせることができるか”
というコンセプトでやったので、後悔はしていない。
Trench Warfareの哲学の一部にこれは無くてはならないものなので。
(もちろん出演者全員がそうである必要はなくて、そこはバランス良く)
でも、またしてもやっぱりあともう一歩、もうひと頑張りができなかった。
まだまだ経験不足だ。
イベントが終わったあとにどうしたらもっと良いイベントになるか。
もっと良いパフォーマンスができるか、
そんな会話が、そのイベント後に少しでもあって欲しい。
buna
奥多摩、東京
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今年も残すところ3ヶ月に近づいている。
振り返るのは少し早いけれど、何をやってたんだろう?
と夢から覚めたばかりのよう。毎年冬になると内に籠り、冬眠状態になるので、
この2ヶ月をどう動くかが今年一年を決める。なんてことだ。
そもそも春は花粉症、夏は夏バテ、冬は冬眠。そんな自分に呆れてしまう・・・。
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自然+音楽+食べ物
所謂音楽のイベントで自分にできることは、全てやったような気になっているし、
結局、空回りをしたまま宙に浮いている状態だ。
知人や友人しか来ないのであれば、最初からそういう企画をやった方が良いのかもしれない。
そんな考えもあり、来月に自然(キャンプ)+音楽+食べ物を軸にプライベートな企画をしている。
閉じた企画だけれど、本心では友人、知人以外にも参加して欲しい。
でも、来てもらえないという現実での苦肉の策だ。
本来、千葉県でイベントを始めたのは、音楽とアートが身近にあり、
属したいコミュニティをつくることだった。だから、決してブレてはいないのだけれど。
とにかく、楽しいことをつくらないとやってられないのですよ。
ということで興味のある方は連絡下さい。
日程:
2013年10月12日
場所:
http://nakadaki-art-village.com/about
buna
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先日、10月21日まで国立新美術館(東京・六本木)にて開催されている
「アメリカン・ポップ・アート展」を観にいった。
特にポップアートに興味があったわけではないのだけれど、
来日していた友人夫妻が好きだったこともあり足を運ぶ流れになった。
それ以外にも今回の展示会がプライベートなコレクションだったので、
滅多に観れるものではなかったのと、人物画(特に顔)にその頃少し関心があったのと、
ウォーホルの色の使い方を間近で観たかったこともある。
その友人の一人は英国でキュレーターをやっていることもあり、展示の仕方に不満を述べていた。
自分にはわからないけど、プロの視点でみると思うところがあったようだ。
そのような見方をしたことがなかったので新鮮だった。
ウォーホルの色使いは原色を主に使っているのに、ギリギリのところで品格がある。
そして彼の描く線はやわらかく、可愛らしさもある。これは彼の人間性が成せる技だろう。
あの手の表現は今日ではPhotoshopなどでそれっぽいものができてしまう。
でも、あの時代ではシルクスクリーンで手間ひまかけて作り上げられたわけで、
そこに熱量というか、思い、情熱みたいなもので作品がコーティングされているかのようだった。
そう、ここでも利便性を追い求めることで、無くしたものに向き合わせられた。
ただ、デジタル加工を否定するのではなくて、
デジタルとアナログを殺さず融合させる方法を見つけることが
21世紀の芸術家に課せられたことの一つかもしれない。
彼の作品よりもインスピレーションをもらえたのは、ロバート・ラウシェンバーグの版画だ。
今まで彼の作品を観たことはあってもあまり印象に残っていなかったので、
今回彼の版画作品と出会えたのは嬉しかった。
彼の版画の作品の面白さは構図や質感、バランスだ。
そして彼の作品だけでなく、展示会全体として作品の完成度が高さは、
今の自分の課題の一つでもあったので良い刺激になった。
たまには展示会に行ってみるものだ。
最後に、あのような巨匠の作品をみても、自分にもできる。
そういう自信を持ち続けていられている自分に驚くと共に嬉しい。
buna
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久々に絵を描いたけれど、あまり楽しめず。
何か新鮮な要素を入れていかなければならない。
そして、作品の完成度を上げることも一つの課題になっている。
日常生活でも、DJでもなんでも、
最終段階に来ると集中が切れてしまうのが悪い癖だ。
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泥の中で咲く蓮のように
先週は台風18号が運んで来たかのように、
兄夫婦のところにめでたく子供が産まれた。
ガラス越しではあったけれど、その小さな手を見ていると、
生命の不思議さを感じずにはいられなかった。
37年前自分もこうやって生まれてきて、今こうしてなんとか生きている。
子育てをするには、色々不安なことが多い時代だけれど、
いつの時代でも、子供たちは泥沼のようなこの世に産み落とされる。
たとえそうだったとしても、蓮のように奇麗な花を咲かして欲しい。
人生は辛いことだけじゃない。
子供どころか、結婚すらもあまり現実味のない自分だけれど。
これをきっかけに教育や結婚について少し考えはじめている。
buna
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やっと暑い夏が終わったかと、ほっとしていた矢先に再びこの暑さ。
秋がとても待ち遠しい。彼岸花も咲いていることだし、もうちょっとだろう。
マンチェスターから来日していた友人夫婦は先日の台風の影響もなく、
無事に帰国することができた。マンチェスターの気温は15度。旅の終わりを
空港に降り立った瞬間に嫌でも感じずにはいられないだろう。
今年は難しいけれど、来年こそは短期間でも良いからあの街を訪れたい。
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真っすぐな流れの中
季節が変わるその前から、少し流れが変わってきたのを感じている。
周辺の顔ぶれが変わってきていることからもそれがわかる。
変わらないことも素晴らしいことだけれど、
変えるべきものに背を向けて過ごすのはもう止めにしたかった。
確実に自分は何かに足を取られている。それは自分の思考の中にある何かだった。
今はまだそれが何なのかわからない。
だから、真っすぐな流れの中に意識的に飛び込んでみている。
淀んだ鈍い流れから自分を切り離すことで、
自分が一歩前に進めれていない原因がわかるような気がしている。
buna
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マンチェスターから友人夫妻が来日している。彼らにとっては4、5回目の日本。
(写真は前回の来日の際に渋谷のカフェで撮影したもの)
二人は主にシルクスクリーン・プリントを制作する、アーティスト・ユニットを組んでいる。
戦争や性をテーマにすることが多いのだけれど、
ポップ・アートなアプローチなので“重い”イメージはない。
奥さんのカット(キャサリン)の本業が忙しく、
最近は一人で制作している旦那のデミオンは少し寂しそうだ。
彼の新作を見せてもらったところ、今は風景画を描くことが多いようで。
それらは一見美しいものも、よくみると醜さや残酷さがある。
そんなこの世界の闇を表現しているという。
この世界の闇に目を向けるのは、ある程度の強さが必要だ。
彼の強さは20年弱付き添っているパートナー、
支えがあるからこそのように思えてならない。
自分も闇ばかりをみる傾向があるのだけれど、
正直辛いし、もううんざりしている。
だから、もう少し光の方に近づきたいんだ。
そう彼に伝えた。
buna