
–
先日書いたWebマガジン
現在2人で記事を書いているのだけど、
それぞれ時間がなく、スカスカな状態になっている。
焦らずゆっくり記事を充実させていきたい。
–
芸術家と狂気について
感情の高ぶりは、ある高さに到達すると狂気になる。
狂気とは精神疾患としてと、
宗教的、芸術的なものと二つに分けられる。
神秘体験や閃きも一種のそれだ。
民族音楽の中にも“神”との交信をするために、
意識的に狂気に達することを目的としているものある。
60年代、70年代の芸術家たちはドラッグによって、
その域に達しようとしていた人もいるだろう。
大きなリスクが伴うから、
軽はずみにその方法を使うのは危険だ。
その無意識の層だったり、
神秘学のシュタイナーなどの言うところの“高次の世界”は、
芸術家の多くが闇に落ちているように、思考と感情、意志が分裂し、
これが進むと神経症になるというリスクがある。
こうならないためにも、
怒りや臆病さ、迷信、偏見、
虚栄心、名誉欲などを
できるだけ排除し、純化する必要がある。
buna
コロナ禍で友達になりたいと思った人たちと、どう距離を縮めて良いのだろう。飲みに行くこともできないし、食事やお茶をするのだってかなり気を遣う。オンラインで話すというのもまだ抵抗がある。でも、この状況がもう少し長引くのであれば、仕方ないのかもしれない。
毎週今週末こそは
梅雨になり、当然雨が毎日のように降り、晴れ間を見つけては外の空気を吸っている。自然のあるところに行きたくて、実家に顔を出した際に近くの公園まで父親と歩いた。コロナ禍で、両親や兄弟、友人が今のところ無事であることはラッキーなことだ。まだまだ油断はできないのだけれど、やっぱり麻痺してしまっていて、畏れが弱まってしまっている。
最近、「ソロ活」という言葉を知った。これは最近の僕の課題になっている。行ってみたい場所があっても1人では行けない自分が嫌だ。1人で日本を飛び出して、英国に行ったことがあるというのに。常連ばかりの居酒屋に入りにくいのは仕方ないとして。なぜに、たった2、3時間かけて自然のあるところに行けないのか。毎週今週末こそはと思うけれど。
buna
山形にいる友人から、誕生日のプレゼントとして米1kgなどが届いた。
「近所のスーパーで買えるやつだぞ」と照れ臭さくて余計なことを言い、
「気持ちを受け取ってくれ」と言わせる。
44-45
間違いなく僕の人生は折り返し地点を過ぎている。
焦りと諦めに負けず、後半戦を闘うことを決心する。
何かを犠牲にしなければならないこともあるだろう。
過去を誇りと自信にしつつ、
まだ、何もなし得ていない。
そう思って進む。
コロナ禍はまだ続きそうだけれど、
それでも僕に残された時間は日に日に減っている。
そして、収束後の未来、異国の地に行かなければならない。
僕の根無草人生は続く。
後悔の無いように生きなければ。
buna