
Switzerland Basel 2003
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なんでだろう。
スイスのバーゼルで過ごした夏の夜を思い出した。
スイスは真夏となれば夜も暑くなるけれど、日本のそれに比べたら大したことがない。
バーゼルはライン川があるので、その近辺はさすがに湿度は高い。
あぁ、スイスに行きたい。
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Like a rolling stone
流れが変わって来ている。そんな風に感じることが次々と起きている。
その変化は人間関係にわかりやすく出ていて、例えば今まで一緒にいて楽しかったのに、
何故かいつのまにか楽しめなくなったり、自分の側から去って行く者がいたり。
逆に今まで縁がなかったような新たな出会いがあったり。
身近にいる人間をみてみれば、今の自分がよくわかる。
もし退屈だと思ったら、自分自身が退屈な人間だということで、
だらしない人間ばかりと思えば、自分自身もだらしないのだろう。
自分が変われば、自然と見える風景が変わる。
もちろん、今自分の身の回りにいる人間に満足しているのであれば、
それは幸せなことだし、大事にしなければならない。
そう、大事にしたいと思える人に囲まれたいんだ。
buna
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我が家のアトリエには、失敗作が山のように積んであるゴミ箱がある。
先日、そこから失敗作を持ち帰った人がいる。
喜んでもらえれば良いのだけれど。でも、どこかで罪の意識のようなものがある。
それは、あの失敗作を部屋に飾ったり、どこかの保管しているだけで、
その人の空間を汚してしまうのではないか。というもの。
繰り返しになるけれど。喜んでくれているのなら良いのです。
作品の成功や失敗というのは、つくった本人が決めるものではない。
そんな風にも思うこともあるので。
でも、それで果たして良いのか。
あのフランシス・ベーコンもまた、アトリエに遊びに来た友人に作品をあげていたらしい。
でも面白いのが、数年後それに後悔した彼はそれらを取り戻し、廃棄したという。
失敗作を後世に残すものか。そんな思いだったのかもしれません。
今ならその気持ちが少しわかります。
buna
Trench Warfare8.0 -セッティング中ー
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サッカーのコンフェデレーション・カップの影響ですっかり夜型になってしまいました。
こうなると体調を崩しやすいので、できるだけ早く寝るようにしています。
それにしても日本代表、強くなりましたね。今回の三連敗を悲観視している人も見かけますが、
自分たちがまだまだなレベルだと知れたことは大きな成果だと思います。
これだけ情報が多い時代でも、実際に海外へ行くと日本での感覚が特種なもので、
とても狭いところですったもんだしているというのがわかるのです。
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許しながらも、ここは絶対に。
8月中旬に柏で一本イベントをやることになりました。
これは柏を拠点にしている仲間との共催になります。
県内でもいくつかこうやってサポートし合える仲間ができたのは、
嬉しいのと、少しばかりの達成感があります。自分が帰国した頃のことを考えると、
想像はしていても現実味はありませんでした。ただ、ここまでになるのに6、7年かかったわけです。
そう考えると、先日イベントを始めて1年で弱音を吐いていた地元のオーガナイザーには、
やっぱりもう少し地道に頑張ってもらいたいです。
何はともあれ、駄目な部分も許し合える関係も良いですが、
許しながらも、ここは絶対に。というところは指摘し合える。そんな仲間は良いですね。
大切にしないともったいないです。
buna
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とうとう梅雨が到来。この湿気には慣れません。
通勤が無かったりやスーツを着なくて良い身分なのが、
この季節には幸運だったと思います。今年もこの梅雨と、
そして来月には来るだろう灼熱の夏を乗り切りましょう。
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D-Fried with VJ Do Not Disturbのライヴ映像が公開されたので、
紹介させて頂きます。今回のツアーではビートの効いたセットと静か目なセットがあったのですが、
これはその静か目なセットです。因に右に映っているのがVJ Do Not DisturbことJavo(ハボ)。
そのハボは今回の来日が相当楽しかったようで、8月のホリデーで再来日すると言っています。
これを機会に映像のつくりかたを教えてもらおうと思っています。
buna
バルセロナのスーパー、下:チョリソーの種類の多さ。
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礼節の国として評価される日本。
人や食べ物だけでなく、物にも敬意を払う。
でも、現代ではこれもほぼ形式化されて、そこに心がないことが多い。
都市部ではこれだけ人がいるし、メールなど一つ一つに心を込めるなんていうのは、
無理なことのように思える。
例えば欧州のスーパーのレジでは店員はイスに座って接客する。
中にはガムを噛みながらだったり、無愛想な人も少なくなかった。
一方日本では店員は立ちっぱなしで接客していて、マニュアル通りの笑顔で対応する。
大して待たされてもいないのに、大変お待たせしました。と頭を下げられる。
日本人のそういう心遣いは誇りに思っているけれど、
もう少しお互いいい加減に生きて良いんじゃないかな。
例えば、スーパーのレジの店員には座って作業をしてもらいたい。
誰がそれを失礼と感じるんだろう。こうやって礼儀を重んじるあまり、ストレスを抱え、
年間3万人以上の人が自殺するような状況を支えているように思えてならない。
buna
Trench Warfare8.0
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雰囲気が丸くなったと、先日のイベントで言われたんですが、
ラテン系の人は、自分の中の“お調子者”を引き出すので、
その影響なんじゃないかと。
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海外で注目されている日本の現代文化と言えば、
やっぱりアニメやコスプレなどのポップ・カルチャーやオタク文化になるのだろう。
以前、あるプロデューサーが「これらを誇らずに何を誇るんだ?」と言っていたけれど、
その方の見解には“ビジネス的に金になるのにもったいない”
そういう下心があったことは、なんとなく想像がつく。
どうも自分はそれらを誇ることができない。
勿論、好きな漫画はあるので例外はあるけれど。
2001年に“逃げた”と言われるようなかたちで自分が海外へ行ったのは、
そういう現代の日本文化と生活に馴染めず、嫌気がさしたからだった。
向こうに住んでいる間も1年に1、2回は帰国することがあって、原宿や渋谷を歩く度に、
“俺はこの文化の一部じゃないし、なりたくない”という苛立にも似たモノがあった。
今はどうかというと。その苛立はまだあるけれど、なるべく無いものとして扱うようにしている。
孤立感はあるけれど、もうこれは仕方ない。
結局どこの国にいても、これは自分に付きまとうモノのようだし。
まぁ、それは置いておいて。
では、どの文化に自分が属しているのか。
これを考え始めてしまったのだけれど。視線は海外の文化と伝統文化の二つに向けているし、
それらに影響も受けている。そこでまた難しいのが、身の回りに伝統的な文化があるわけでもないし、
海外の文化ももちろん海の向こうなわけで、書物やネットなどを通してになる。
そうなると、自分は本当にそれらを体験しているのか。これが更に自分を不安にさせる。
自分が体験していると思っていることは、ヴァーチャルでしかないんじゃないかと。
これはネット上のライヴ中継を観て、体験したと思い込んでいるのと
変わらないんじゃないかと。
体験ってなんだ?という問いが頭にどっしり乗っかってしまったので、
知恵熱が出る前に今日はこのへんで。
buna