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バタバタしていて、告知が遅れました。
久々の東京湾、JicooにてラウンジDJなので、とても楽しみです。
今回は19:45-20:30 21:10-21:50の時間を担当します。
秋の夜に合う選曲をしてみたいと思います。
The Lounge Bar 20:00~23:00
-DJ-
Wataru Sakuraba, buna
詳細は以下にて。
http://www.jicoofloatingbar.com/news/
仙台、DEC 2010
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本国イギリスに帰国(避難)しているアレックスが一時的に日本に戻って来ていた。
仙台で被災し、奥さんと産まれたばかりの子供を連れて、本国に帰っていたのだった。
その子供ももう1歳と3ヶ月。とても可愛い子に育っていた。
実際に被災者の口から、その恐ろしい体験を聞くのは初めてだった。
地震が来る直前、奥さんから娘の写メールが送られて来て、
何故かセンチメンタルな感覚があり、二度と会えないのでは。
と思ったという。
その後にあの地震がきた。
天井から落ちてくる照明、倒れ込む女性、抱き合う女子高生。悲鳴。
家族を探して彷徨う。ビルの上に傾いた広告、電気も水もガスも止まり、
海側から逃げてくる人々の姿。床に散らばる家具。続く余震。
二つ通り向こうまで押し寄せた津波。行く宛もない車。子供の食べ物の為に並ぶ。
品切れで買えなかった親たち。
その体験を話す彼からヒシヒシと伝わってくるものがあり、
涙が出そうになった。
以前も紹介したけれど、
その彼が中心となって震災チャリティーの為のコンピレーションは以下。
http://icasea.bandcamp.com/track/want-you
まだ、購入(募金)してない方は是非。
buna
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とうとう今年もその季節が来た。
我が家の門周りには毎朝落ち葉が落ちている。
それをホウキで掃き出すのが、朝の日課になってきている。
裏の庭にはセイタカアワダチソウの黄色が増え、実が成った柿の木は重そうにしている。
昨年とは違うのは、そこには以前の何倍、何十倍もの放射能物質が存在していること。
シルヴィ・ギエム オン・ステージ2011
友人に連れられるがまま、何も知らずに上野の東京文化会館へ。
フランスはパリ生まれのシルヴィ・ギエムというバレーダンサーの公演だった。
バレーを観るのは3、4回目くらいで、毎回、別世界に引き込まれる。
「無駄で不自然なジェスチャーやわざとらしい演技を排除した」
彼女の踊りは、40代後半という年齢を感じさせず、美しく、気品があり、
「世界一のバレーダンサー」、「バレエの女王」と言われるのも納得ができた。
また、無駄や不自然とはどういうことか、考える良いきっかけにもなった。
そういう柄ではないのは百も承知だけれど、また機会があれば彼女の別の演目を観てみたい。
最後にギエムのコメントを。
HOPE JAPAN、それは私自身の意思なのです
3月11日以降の日本の状況を考えて、
この東京と全国での公演では何か通常のシルヴィ・ギエムツアー以上のことが
何かできるのではないかと思いました。
日本は大変困難な時に直面しています。
私はあなた方の国を何度も訪れ、本当にたくさんの場所で踊りました。
そして日本の人々とNBSに、こんなに長い間私が与えられてきたものの、一部をお返ししたいのです。
私は日本と、日本の人々を本当に長い間愛してきましたし、
今や私自身を少し日本人の一員のように感じており、
この恐ろしい出来事に大変心を痛め、悲しんでいます。
人間としてしなくてはいけない、という義務感を超えて、
これは私の個人的な意思なのです。
シルヴィ・ギエム
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先日、京都の二条にあるカフェ、雨林舎で友人と待ち合わせをした。
美味しいコーヒーとケーキが食べられるそのカフェの二階では、
今は懐かしい活版印刷の展示をしていた。
その活版印刷の暖かさに心が惹かれた。
上の写真は、展示してあった本の表紙。
観たことのないピカソの作品だった。
この作品が、思い出せてくれたことがある。
それは肩の力を抜いて、自由に描くことが、
自分をクリエイティブにさせるということ。
buna
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おしゃれな眼鏡をしたPakchee君が、
いつだったかネットレーベルを始めると言っていた。
軽く聞き流していたけれど、いつの間にか一周年記念。
失礼なことをしたものだ。
最近では海外からの反響もあるらしく、
あれよあれよと国内で最も重要なネットレーベルの一つになってしまった。
明日のアニバーサリーではPakchee君にテキーラを最低でも4、5杯ほどは
差し入れをしようと思っている。
buna
Hz-records 1st Anniversary
2011/10/22 (sat)
at SOUP (Ochiai Tokyo)
open/start 18:00 Close 23:00
adv/door 2,000yen
live:
DUB-Russell(+MUS)
Fugenn & The White Elephants
Pakchee
Paradrags
Takeshi Kagamifuchi
wk[es]
DJ:
dela(CMFLG)
VJ:
Yousuke Fuyama
Takahiro Shirasuna (Swift) ※出演者都合によりキャンセル
Katsumaki
ある対象を理解したい。そう思うのはどんなときだろう。
その対象を大切にしたいから、その対象から学びたいから。
他にもあるかもしれない。
先日、旧友の父親が亡くなり、キリスト教の葬式に初めて参列した。
神父は闘病中の故人を見舞いに行っていたようで、
その闘病と死を迎える苦しみ、辛さを知りながら心で話し、
参列者が心を一つに賛美歌を歌い、棺に献花したあと遺族に励ましの声をかける。
そんな心ある良い式だった。
生まれて初めて父親とちゃんと話すことができたのが、
闘病中の病院だった。もっと話したかった。
その友人が参列者にそう悔しそうに言っていた。
お互いを大して知ることがなくとも、
それが家族であろうと、友人であろうと。
人生には終わりが来る。
確かに、その友人はその父親の言葉からではなく、
背中を見て学んだこともあっただろう。
それだけで十分だったのか、もっと知ることができたのでは。
もっと理解しあえたのでは。
そういう後悔にちかいものを胸に残している。
人生とは魂を磨くことであり、そのために家族や
友人、社会だけでなく、すべてのモノが存在している。
その限りある人生の中で、どれほどそれらと向き合い、
一人一人の魂の光の強さを強くすることができるか、
それがこの世に生きる意味だと信じている。
buna
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数ヶ月前のこと。
英国人の友人から長い英文の手紙が届いた。
その封筒にはマイルス・デイビスとソニックユースのCDが同封されていた。
その手紙は読みにくい部分があったけれど、
ここ数ヶ月、彼ら夫婦が経験した悲しいことや、楽しかったことが書かれていた。
手紙の裏には彼の描いた絵が2つプリントされていた。
読み進めていくうちに、彼が手紙を書いてくれたことが嬉しかったし、
彼の奥さんへのあたたかい思いが自分を安心させてくれた。
途中から読むことをやめて、その手紙を一つの絵として眺めた。
文字から伝わってくるものが気持ちよく、無性に彼らに会いたくなった。
絵によって多くの人に伝えたいことがあり、それをどうやったら理解してもらえるかと考えていたが、
それは理解してもらうのではなく、“感じてもらう”で良いのかもしれない。
彼の手紙を眺めていて、そう思えた。
buna
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今年こそスノボーがしたいと思いながらも、何年も経ってしまっています。
そんな自分の作品が掲載されている、スノーボードマガジン「DEZZERT magazine」。
フォト&アートを中心に、スノーボードの『楽しさ』と『スタイル』を独自の視点で捉え発信するフリーペーパーで、
配布が始まったとのことです。
全国のスノボーショップを中心に配布されているとのことですが、
人気があり、店頭から直ぐに無くなってしまうということですので、
興味のある方はお早めに。
↓こちらで紹介されています。
http://red1press.com/?p=10453
↓DEZZERT magazineのサイト
http://dezzertmag.com/
来年こそは!
buna