
最近はJazzをよく聴いている。50年代から70年代前半まで。
特に音かずの少ないトリオが今は良い。
「趣味でやっています」なんて言わない。
数年ぶりの再会を繰り返し、
昔話に花を咲かせるのもたまには良いものだ。
きっと今はそういう時期なのだろう。
しかし、僕はまだここで終わらせるわけにはいかない。
だから昔話だけでは終わらず、これからどうする?と問う。
「趣味でやっています」なんて言わない。
売れるためにやっているわけじゃく、
追求したいなら、本気でやっています。
って言えば良いんじゃないかな。
buna
その場の楽しさに流された選択が、
次に開く扉も決めていく。
あれは試されていたのだ。
わかっていたというのに、選択を誤った。
その結果、流れが変わってしまった。
今いるここは、自分が過去に向き合った壁を、
どう対応して来たかの結果だ。
もう一度それを学ぶ機会になった。
The way I choose
完成させるまでに時間がかかってしまう。
偶然性に任せている部分が多いのが一番の理由かもしれない。
以前は、無駄な線は一本も無いように意識していたけれど、
最近は気にならなくなった。
ただ、勢いで荒々しく描くだけではなく、
丁寧に筆を置くことも意識している。
Nirvanaのベーシストが、
意外と丁寧にベースを弾いていたのを観て、
そう意識するようになった。
buna
絵を描くとき、呼吸が大切なのだけれど。花粉症で鼻が詰まっているから、調子が出ない。
まるで魔法を忘れた魔法使いのような不安さえ感じている。
鼻詰まり以外に、大きな理由があるような気もしている。
ケミカルはやらない
僕らが90年代に大否定し秋葉原で行方知らずになったケミカルジーンズ。
あれを履いている女子を電車の中で見かけて軽くパニックになって、
友人たちにLINEを送った。
「あ・の・時、殺・し・た・あ・い・つ・が・目・の・前・に・い・る」
そんな勢いだったかもしれない。
しかも、その子はおしゃれに着こなしていたものだから、
僕の中で価値観が何度かひっくり返ることになった。
そうか、あれから30年近く経っているのだから、
そんな変化があっても不思議ではないのかもしれない。
「おしゃれなモノだと思っていましたよ」
と答えたのは21歳の友人。
それでも、僕はケミカルジーンズを履くことはないだろう。
一瞬でも、おしゃれだと感じたとしても。
それはありえない。
buna
いくつかアップしたいことがあるのに、
怠けてしまい2020年が終わるまでにできるだけ更新しようと思う。
月のうらがわ
まずは先月、山梨県は大月の大月駅近くにできた「月のうらがわ」、
カフェでもあり、セレクトショップでもあり工房でもある。
手作り感溢れる店内は、居心地が良く、
近くに幾つかのトレッキングコースもあるらしく、
登山を終えた人たちが一息をつく、
新しいスポットにもなるだろう。
昭和の残り香が漂う町に、現代的なサードウェーブな空間。
こういうセンスの良い店が一店舗あるだけで、その町の価値が上がる。
オーナーは革職人のアサトさん、
本八幡のカフェでの個展を企画してくれたのも彼女だった。
その恩を返すべく、カフェのオープニングにDJをしに行った。
オーナーのあさとさんの生き様が良い。
生まれ育った地元でも週1で店をやり、
製作拠点は自然に近いところに持ち、
好きなアウトドアも楽しめる。
作品を販売できることがあれば、車でどこでも向かう。
これは僕が生きたかったライフスタイルの一つでもあり、
今のところ僕にはできそうにもない生き方だ。
だから応援したくなるし、何か一緒にしたいと思う。
やりたいことを、とことんやる。
なかなかできることじゃない。現に僕はそれができていない。
何かを始めたくても、始められずにいる人は、
始められた人の近くに行くと良い。
もちろん、何かしらを持っていないと、
仲間には入れてもらえないけれど。
月のうらがわ 住所: 大月市大月1-6-28
https://tsuki-no-uragawa.jimdofree.com/
ここでは告知できませんでしたが、
今年初のJicoo Floating BarにてDJをさせていただきました。
あそこでのDJは今回も例外なく楽しく、翌日もその余韻で気分が良かったです。
オシャレな空間で、敷居が高く感じてしまう人もいるとは思いますが、
どんな人にもお勧めしたい空間です。その先日のMixをアップしたので、
お時間のあるときにでも是非聴いてみてください。
“別世界に生きる人”
そんな風に感じる人と出会うことがある。
大抵はお近づきになりたいとは思わない類だけど。
稀に自分の世界を拡張してくれる、そんな良い出会いがある。
考えてみると、全ての出会いが新しい世界への扉であり、
別世界への扉は、それだけ身のまわりにあるということになる。
今の人生を変えたいなら、生きたい世界が広がる扉を探すしかない。
buna
GWも明日で終わる。結局行ったところと言えば、都内と実家だけだった。
あとは読書と映画と音楽。そして友達と会う。といういつもの過ごし方だ。
ただ、今までと違うのは、この先の旅行を計画し始めたことだ。
これは大きな変化だ。少し余裕ができたからこその。人生の楽しみ方。
この連休中の会話で耳にした、
まだ消化できていない言葉。
「飼われる」って、どういうことだろう。
野良犬は、自分の食べ物と寝床を自分で確保しなくてはいけない。
飼い犬は、それがある程度保障されている。
そして、大きな違いは、自由があるかないかだ。
生きていくために、衣食住の確保のために、
自分の感情や意思をコントロールしろ。
ということか。
SIONの「はやく慣れることさ」が頭の中に流れている。
buna
気がついたら桜が散ってしまった。大して好きではないけれど。
寒い冬の終わりの知らせとしては、毎年首を長くして待っている。
そして、今年も春が良い知らせを運んできてくれた。
この2年間続いた、長い長い冬の終わりだ。
きっと。今度こそはと。希望を取りもどし始めている。
心の時代
2004年の終わりに帰国してから、
どこにも根をおろすことができなかった。
この国の経済的な落ち込みと同様に、
文化や価値観を僕自身が拒絶していたことが影響しているのだろう。
この場合の“文化”とは、
いわゆる“カワイくて軽い”ポップカルチャーであり、
“価値観”とは「空気を読め。効率を上げろ」というメンタリティだ。
空気を読みすぎて、自分の心と向き合わず、
効率を重視し過ぎて、余裕がなくなり、心を込めることもしなくなる。
そんなことで、僕が思う良い関係がつくれるとは思えなかった。
だから、それ以外の場所を探してきた。
心と強度のある環境を。
今月から僕が挑戦する環境は、
それが実現できる可能性がある。
あとは僕次第だ。
buna
久々にDJのブッキングが来て、
またそれまでは、時間が空けばDJの準備に集中してしまうだろう。
起伏の激しい生活の影響で、
描き始めた絵は、また部屋の隅に追いやられている。
あの頃の恵まれた環境に甘えていた自分を、
タイムスリップして、説教してやりたい。
こっぴどく説教してやりたい。
「“針の穴に糸を通す”感覚で、
次々と目の前に現れる選択肢を選ばなければいけない」
あいつはそう言ってた。
せめて10年後の自分が、
今の自分を説教しに来たがらないように、
なんとかしないと。
buna
何か二つの間で問題が起きた場合、
両者の話を聞かずに答えを出すことは避けなければならない。
特にリーダー的立場の人がこれができないと、
その人の元で動いている人は不幸だ。
結果的に、僕はいろいろなリーダーの元で働いてきた。
中には、男が惚れてしまう(同性愛という意味ではなく)
ほどの魅力を持っていた人もいた。
引っ張っていくタイプではなく、
普段は甘え上手で怠けてばかりだけれど、
ここぞという時に矢面に立ち、スタッフを守ってくれるリーダーだった。
本人は出世したくないのに、周りがそれを許してくれなかった。
どういうリーダーの元で動けるか。
これはもう運次第なのかもしれない。
ただ、人生を左右する大事な要素ではある。
buna
心配して連絡をくれた友人と何十年振りのコーラフロート。
深いあたたかさ
苦手な朝、電車の中で朝陽のあたたかさに包まれて、
心の奥底まで照らされているような、
まるで清められていくような、
そんな深いあたたかさだ。
我が子にアサヒと名付けた友人、
あいつも、朝方に名前を考えたのだろうか。
今年も残り1日。
buna
中国の少数民族を扱った展示会関係のワークショップを友人達が企画した。
「クライム・エブリ・マウンテンvol.1 ミャオ族の刺繍と暮らし 展」
http://www.setagaya-ldc.net/program/385/
タイミング悪く、打ち上げにしか参加できなかったけれど、
興味深いことを聞くことができた。
彼らの服の模様(デザイン)には意味があるらしい。
大きいテーマとして、先祖崇拝が挙げられる。
これは全てのものには精霊が宿ると信じ敬う、
アミニズムに行き着く。
一方で、消えゆく技術を守るために、
観光化や商品化、大量生産化れることで、
本来そこに込められた思いが薄まって
形骸化してしまう。
悲しいことに、これはどこでも起きている話だ。
巨大な形骸化システムが出来上がってしまった。
そんな風に感じることがある。
感謝する心。
全てのものを感謝することの大切さ。
最近、「売る」ことを考えなければいけない環境にいるので。
今回の小数民族の話は、心の存在を再確認させてくれた。
形骸化システムに、屈してはいけない。
buna
毎日、覚えることや慣れないといけないことだらけですが、
無駄なストレスも無く、充実した時間を過ごしています。
詳しくはまた今度。今言えるのは、自分の技術や経験が活かせると共に、
自分に足りなかった部分を補ってくれる環境にいるということです。
またどこかに落とし穴があって、突き落とされるのではないかと、
不安がちらついたりもしますが、これはもう心配症なんでしょうね。
僕のカオス理論
混沌は、別の言葉に置き換えるならば、
「狂気」かもしれません。
「混沌の中からしか、新しいものはうまれない。
少なくとも、混沌の中に身を置かない表現者は退屈だ」
と先日、Zerocharizmaことアレックスと話していました。
もちろん、異論はあると思いますが、
僕らはそう信じているし、感じています。
「混沌を恐れるな」
などと格好いいセリフは言いません。
僕だって混沌は怖い。できれば避けて通りたい。
でも、どうやら混沌の中に身を置く、
ずば抜けた才能が僕にはあり、
それが僕を僕という人間にさせているのだと思います。
結局、今もまだ混沌の中にいます。
でも、今のは精神的にヘルシーで、前向きになれるやつです。
buna
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気分転換にiphoneケースをこのデザインのものにしてみました。
まだ以下などで購入可能なので、もし気に入って頂けたら買ってやってください。
ACP buna “OUTSIDERS”
このプロジェクトでも中心で動いている、静岡県浜松市で活動している芸術家、オオサワアキラ。
彼は20世紀的芸術家気質かと思いきや、実はビジネスセンスもあり21世紀的芸術家として、
バランス良い活動をしている。
絵を描いている人で、今後の活動で迷いがある人は、
彼の動き方、身の置き方は参考にしてみて欲しい。
以下でインタビューが読める。
DORP 浜松から発信するローカルデザインメディア
http://www.dorp.jp/interview/base/
来月頭、そのオオサワアキラが始める新しいプロジェクトで浜松へ行く。
(今度こそウナギか餃子を食べたい)
その準備でこの二週間、新作を制作していて、それを今日完成させる。
まだ自分がどこに向かいたいのか、わからなくて少し焦るけど。
立ち止まることなく、探し続けるしかないようだ。
buna