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自分のことになると、告知をすることが後回しになるのはなんででしょうね。
”奥ゆかしさ”とは違う何かだと思うのですが(苦笑)ちゃんとやらないといけませんね。
「一歩前に」と自分に言い聞かせています。
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【個展】buna “waga”
at 浜松BASE 2月8日(sun)-21(sat)
15:00~19:00 (Close:Mon) idct-base.com
【入場無料】
「この激動の21世紀をどう生きるか。
それを一人の人間、日本人、芸術家として見つける、
その過程で生まれた作品の展示をします」
2月7日
18:00~19:30 トークセッション
19:30~22:00 ギャラリー懇親会
22:00~01:00 PARTY
buna
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個展まで残り2週間ちょっとでしょうか。
あと4、5日したら作品の額装の手配です。
そんな時期に新たに試したいスタイルが出てきてしまいました。
重厚感や深みのある成熟した表現。そこに到達する道なのか、
それとも行き止まりか。
こればかりは行ってみないとわかりません。
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その答えを
今回の展示会の題名は『Waga』にしました。
「和画」でもあり「我が」でもあります。
現代に生きる人間、日本人としてどう生きるべきか?
そして、芸術家として何を表現していくか。
それを考え、見つける過程で生まれた作品を展示します。
コンセプト、色々考えたのですが、
結局すごくシンプルでした(笑
buna
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年賀状を昨日やっと投函。
返事を書き忘れている相手の顔が、既に何人か浮かんでいます。
きっとここを読んでくれているので、ここで謝ります。ごめんなさい。
来年は出します。元日に着くように送ります。
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『芸術と脳科学の対話ーバルテュスとゼキによる本質的なものの探求ー』
この本を読んだのは2度目。
芸術家と脳科学者の対話が書かれたものです。
瞬間的に重なることはあるけれど、
基本的に彼らの会話は平行を保って進みます。
二人の間には埋められない溝のようなものがあります。
芸術や絵を描く行為を科学的に理解、説明しようとする科学者。
祈りとしての芸術。というスタンスの芸術家。
それを科学で説明されることの違和感。拒絶。
一方で、答えから対話を始めようとする科学者。
答えよりも、過程での発見、成長を重要視する芸術家。
この二人の意見のやり取りを読んでいると、
人間が本心で語るというのは、こういうことなのかもしれない。
そんな風に思います。本心を話せば実際は衝突するのに、
相手に合わせたりして、それを避ける。
僕も含めて日本人はそうしがちではないでしょうか。
こういうやりとりによって、僕らは言語コミュニケーションと
思考を研ぎ澄ませていかせるはずなのに、なんとなく、
なぁなあにしてしまう。
それは置いておいて。少し内容に触れると、
人間は曖昧さに、想像を膨らませて不安になったり、
興奮したり悩んだりするそうです。
曖昧さに心を揺さぶられると言っても良いのかもしれません。
だとしたら、映画や絵、音楽でも。どこかに曖昧さを残しておくことで、
観た人は想像を膨らませて楽しむことができる。
ということのようです。興味深いです。
曖昧で抽象的なことばかり言っている人との会話、
あれが疲れるのは、これが原因かもしれません。
buna
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年明けて今日で6日目。時間が過ぎるのが早いです。
年賀状が次々と届いてしまい、急いで一枚一枚和紙に絵を描いて貼り付けています。
2日から新年会で吉祥寺へ。
電車の中からは見事な富士山が見えていました。
なんでしょうね。富士山をみたときのあの高揚感は。
日本人独特のものなのでしょうか。今度外国人の友人に聞いてみたいと思います。
来月にはその富士山の近く、浜松で個展をやるので、
その準備をそろそろ本腰入れてやらなければなりません。
その他にもいくつものプロジェクトが進行していて、
年始早々ばたついています。
しかし、働けど生活は楽にならない。なんででしょうね。
好きなことばかりやっているので、仕方ないですね。
この点も今年はなんとか上向きに向かわせます。
では、2015年を始めます。
どうぞよろしくお願いします。
buna