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強引に、半ば無責任に仕事を切り上げて、
東京は清澄白河まで、久々に落語を聞きに行った。
たまには息抜きをしないとやってられない。
父と二人で出かけるのは、いつぶりだっただろう。
会場に早く着いてしまい、二人で深川の街を歩いた。
「じゅん散歩」みたいに歩くか。とお気入りのTV番組の名を出して、
少し嬉しそうだった。歴史が好きな父は、
ところどころに建っている石碑を見ては興味深そうに読んでいた。
同世代の落語は、どちらかというとテンポが早い印象だった。
過去の遺産を引き継ぎ、自分流に、現代風にアレンジする。
まさに「伝統」だ。伝統は「変わらない」ということではない。
イベント後に、父と会場近くの飲み屋に入った。
酔った地元のご老人たちが大声で話していて、正直不快だった。
父は「でも、あんなふうに呑める友人がいたことがない」
と少し寂しそうに言った。
これからは、もっと父親を連れ出してみようと思う。
気がついたら、もう父親は70代中盤だった。
buna
Autechreを灼熱の中、歩きながら聴くと。
楽しめるどころか、苦行に思える。
やっぱり彼らの音は北国の音だ。
だとしたら、僕らが住む日本の音はどんなだろう。
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Fugenn & The White Elephants “Nehan Loops”
久々にアートワークを担当したアルバムがリリースされた。
https://fugennthewhiteelephants.bandcamp.com/album/nehan-loops
この音楽家とは10年以上も前に出会い、千葉県で一緒にイベントを運営したり、
ツアーに行き、彼のデビュー以来、彼のアルバムをいくつもアートワークを担当した。
彼はインディーズシーンで成功を収め、メジャーな舞台に足をかけた頃に、
いつの間にかシーンから消えてしまった。その頃には疎遠になっていたので、
僕に詳しいことはわからない。
僕らのようなものづくりは、ある種の不安定さや危うさを抱えていることが多い。
または狂気とも言える。それらとどう向き合うか。ここが重要になってくる。
今回の彼の復活が、本物であることを、
少しばかり期待している。
buna
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梅雨が始まってしまった。ジメジメした日々がしばらく続くのか。と。
テンションが少し下がっていたのもつかの間、まさかの梅雨明け宣言。
30度を超える夏日が目の前に。暑いのは苦手です。
でも、自分が一番クリエイティヴになれる季節でもあります。
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七夕の短冊
日本社会の生きづらさを感じ続けながら、
そこに留まらなければいけない、今の状況をどう受け止めるか。
「あの時よりマシじゃないか」「あれよりマシじゃないか」
と言い聞かせてやり過ごすのか。
人生の中間地点を過ぎているのだろうに。
まだ僕はこんなところでくすぶっている。
「諦めることだ」とある人は言うけれど。
ここ数年は諦めの連続とも言えるし、
選択肢を絞ってきたと。前向きに聞こえる言い方もできる。
退廃的な灰色の心象風景に、どう色を足して、
花を咲かせるか。
またあの言葉が僕の頭に居座る。
「もっと光を」
英国の曇り空を思い出す。
雲の隙間に太陽が現れて、その眩しさに目を背けた。
石の下に生息する虫の気持ちがわかった瞬間だった。
僕のように光の中に身を置くことを得意としない人もいる。
そんな僕は、やっぱり七夕の短冊に書くことが思いつかない。
buna