QUEST FOR THE CENTREPIECE by buna

Archive for 2012.7

日常になった非日常を生き抜く

Untitled


原発や放射能の問題はもちろん、忘れているわけではない。
むしろ忘れたいくらいだ。

できるだけ被曝しないように気をつける。
原発はできるだけ早い段階で廃炉にするべきだ。
その結果で生活がガラリと変わろうが、それを受け止める。
それが自分の意見で、この意思を表示するべきときに表示する。

あとは日常になった非日常を生き抜くだけだ。
生きる為には水と食べ物が必要だし、光熱費もよっぽどの山の中にでも
住んでいない限り払わなければならない。
そう、パトロンを見つけるか、ヒモにでもならない限り、
働いて、金を稼がないといけないのだ。

目の前にある現実から目を反らさずに生きるしかない。
問題は個人にあるのに、外界のせいにしてそれを見ないようにしてはいないかな?
それらに目を向けずに何を言ったところで説得力がない。

buna

レトロ印刷

stand2.1


stand2.1のフライヤー画像をまだアップしてなかったようで。
今回レトロ印刷なる印刷方法を初めて試させてもらった。
初めてのことだったので、出来上がりがあまり想像できなかったのと、
入稿方法も通常とは違うので手こずった。

このアートワークは2009年にインドへ旅したときに、
ボールペンでノートに描いたドローイングを反転させたもの。
エッチング(版画)のような雰囲気が出るし、
予想外に版がづれてくれるのが面白く、触ると手に粉のようなインクがつくのはご愛嬌。

色々と制限があるけれど、コストも思ったほど高くないうえに、
スタッフの対応もとても親身なので、おすすめです。

buna

stand2.1

numb(Revirth)
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本八幡が盛り上がってきてますね。と言われることが増えた。
これは嬉しいことだ。このまま毎週末何かしらのイベントが開催されるようなことになって欲しい。

昨晩はフライヤーのデザインをさせてもらっているstandというイベントに遊びに行った。
夏祭りとスケジュールが重なっているためか、出演者の豪華さのわりには人が入っていなかった。
夏場はこのスケジュールというのが難しい。
またはそれだけではなく、告知の仕方にも課題があるのかもしれない。

numbさんをブッキングしたとはじめて聞いたときは、とても驚いた。
自分たちの一つ上の世代でエレクトロニカシーンの引っ張って来た重鎮。
そんな方を迎えれるほどの環境が整っていないので、失礼になるのでは。
そんな心配がまずあった。実際numbさん本人はまったく気にしていなかったのが、
あの方の器の大きさだろう。

numbさんと直接会うのは3度目だった。numbさんのレーベル、
Revirthから友人のsokifがアルバムをリリースすることになり、
そのジャケのデザインをやらせてもらったのがきっかけだった。
昨日は一緒に美味い焼き鳥と酒を呑むことができ、
またまたそこで深い話が生まれ、自分にとっての芸術を再確認することができたことと共に、
絵をしばらく描いてない自分と向き合うことになった。

numbさんのライヴは、本人が「トリップし過ぎた」と言うように、
そのトリップ感は聴いている自分をも引きづり込んで、深海へ連れていかれるようだった。
またFuyama Yosukeくんの映像が更にそれを援護していた。
VJというのはおまけ程度に扱われがちだけれど、
その存在感は年々に増しているような印象がある。
それは時に音楽を食ってしまうほどのこともある。
FuyamaくんのSonarsoundTokyo2012年のFugenn & The White Elephantsとのセッションが
良い例だろう。

イベント全体的には、もっと地に足をつけて地道に続けていくべきだ。
大御所をブッキングすれば良いイベントということではない。
自分たちのようなインディペンデントなイベントの良さというものがある筈だ。

buna

自分たちも歴史の一部である

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先日、数年ぶりに東京の代官山Saloonで行われたsubmeditate.に遊びに行った。
このイベントとは縁があり、二度ライヴパフォーマンスで出演させて頂いたりと、
Trench Warfareの異母兄弟的なイベントだと、勝手に考えている。
やっぱり良いイベントでは良い会話ができるものだ。
少し顔出すだけのつもりが、会う人会う人、軽く流せない話ばかりで、
とても楽しくて最終的には終電を逃してしまった。
そのときの会話の内容は後日気が向いたら。


次回のTrench Warfare7.2に向けてメールインタヴューを始めている。
文字通り、メールでのやりとりなので、
なかなか通常のインタヴューのようにはいかない。
質問を考えるのも一週間以上かかるけれど、
答えるには数時間かかる場合もあるらしく、あまり出演者の重みにならないようにと、
今回はなるべく短くまとめられるように心がけている。

このインタビューを始めたのは、小さなイベントで出演料もまともに払えないので、
自分にできる限りのことをさせて頂きたかった。そして、小さなシーンなので、
メディアに取り上げられることもないので、このシーンを支えている人やアーティストの考え、
物語のようなものを文字で残したかったからだった。

自分たちも歴史の一部である。そんな忘れてしまいがちなことを、
しっかりと認識し、責任を持っていきたいと考えている。

buna

新たな扉をあける

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先日、ロンドンのパラリンピック関連のプロジェクトの手伝いをさせて頂いた。
健常者と非健常者がiPadを利用して音楽を一緒につくり、踊るという内容だった。
手伝わせて頂いたのはそのプロジェクトの参加者を集めるのと、
そのセッション当日の会場での作業だった。

この世界には、先天的にも後天的にも色々な障がいを抱えている人がいて、
色々な人生を生きている人たちがいることを、あらためて知ることができた。
そして、日頃どこか痛いだ、だるいだ言っている自分が恥ずかしくなった。

車イスでの移動がしづらい場所がまだまだ多く、彼ら彼女は車で自ら運転するか、
もしくは母親に運転してもらう必要があった。
欧米に比べると、まだまだバリアフリー化が進んではおらず、
日本政府はどこに税金を使っているのだろうと、また不信を強める結果になった。
この国は弱者切り捨ての方向に進んでいると言われているけれど、
その説には説得力がある。

セッション当日は、とても良い雰囲気で行われた。
初めて触るiPadにも抵抗感なく楽しげに、参加者の皆さんは音楽をつくっていた。
ロンドンからやってきたスタッフも満足そうだった。

色々と自分の力や意識が届かなかったところがあったけれど、
その反省を活かして、今後もこういうプロジェクト、活動に関わっていきたいと思っている。

buna

Trench Warfare7.2-Unrealistic Dreamer-

Trench Warfare7.2-Unrealistic Dreamer-


今年は次回を含めて、あと二回やります。次回は今話題の新人ユニット、dub-russell。
そして、アブストラクト系で国内唯一のイベントsubmeditate. からDJ NESSILL。
最後に、それを受け継ぐだろう若手のDJ escoval をゲストに迎えて行います。
今回もメールインタビューをしますので、それも楽しみにしていてください。
加えて写真の展示をフリーになったばかりの、勢いのある後藤倫人がやります。


SUN/12/AUG/2012
open: 17:00-21:30 Motoyawata Expose-One(www.expose-one.net) Entre: 1.000Yen(+1D) ※出入自由
※小規模なDj Barのため、混雑状況により、安全のため入場規制や入場制限をかける場合があります。
予めご了承のうえご来場ください。

DUB-russell [live]
DJ NESSILL (submeditate. JAH-LIGHT SOUND SYSTEM)
DJ escoval (garage records)
karappo [live] / DJ srak (trench warfare) and more.
vj: daahara photo exhibition: goto michito

dub-russell
東京を拠点に活動する首藤陽太郎とNOEL-KITによるユニット。2010年12月、TokyoMaxUsersGroupでのライヴセッションを機に、DUB-Russellとして本格的に活動を開始。2011年にはオンラインレーベル“+MUS”から“Grasp Echoes”、翌2012年には“Prank Poles”をリリースし、自作の音楽ソフトウェア“HSU-001”および“HSU-002″を同梱した各タイトルは各方面の反響を呼び高い評価を受けた。ライヴにおいても即興的なプロセスで多層レイヤーを織り成し、次元をねじ曲げたような強烈なビートと、
その奥に見え隠れする美しいサウンドスケープを併せ持つ斬新なサウンドで圧巻のパフォーマンスを魅せる。
http://dubrussell.com/

dj nessill (submeditate. JAH-LIGHT SOUND SYSTEM)
DJ / Beat Maker、東京都出身。インディペンデント・レーベルOPUESTOよりこれまで6枚のMIXCDをリリース。
” JAH-LIGHT SOUND SYSTEM ” のSelectorとして12″Single「INDEPENDENT STEPPERS」、7″Single「 INTEROOTS」の楽曲制作に参加、リリースしている。近年では OPUESTOより MIXCD「City Of Dub」、” LIGHTNING STUDIO REC. ” より MIXCD「Temple Combat」をリリース。自身がオーガナイズするアンダーグラウンドイベント “submeditate. ” も継続中。
http://www.jah-light.com/
http://soundcloud.com/nessill
http://www.submeditate.com/

DJ escoval (garage records)
2006年に千葉県柏市を中心にDJ活動を開始。BreakBeats、HipHop、Dub、Abstract、Electronicaを基盤とした幅広い選曲、音と音のレイヤーを大切に重ねてゆくプレイスタイルで荘厳的且つ力強い空間を創っていく。Boards of Canada、DJ Krush、ANTICON 等から強く影響を受け、自身のスタンスを崩さず邁進し続けている。現在はGarage Records、Scrap and Build (東京)、Stand、Sheets of Sound (千葉)を中心に活動中。
http://soundcloud.com/escoval/garage-records-mix-series
Scrap and Build mix series
http://soundcloud.com/sb_tokyo/vol5_mix_escoval
http://soundcloud.com/sb_tokyo/06_ang_escoval

Srak (Trench Warfare)
東京は墨田区出身、第1次Trench Warfare後期2008年からLOOPと2DJで
参加している。放浪癖のあるLOOPは未だに行方不明の為、TW7.1同様に今回も一人で参戦。 ヒップホップ、エレクトロニカ、 ダブ、レゲエ、ジャズなどの重たいビートと心地よいビートをミックスするDJ。

karappo
2006年活動開始。これまで即興演奏のリアルタイム・サンプリングと映像を同期させたライブや、電子回路を用いたインスタレーション、音と光のフィードバックによる演奏、独自開発のOSCアプリALT OSC を用いたライブなど、音響や映像におけるインタフェースやシステムのあり方を再構築する表現活動を続けている。
karappo.net

VJ daahara
KazumaHaradaのVJ名義。2010年頃より、千葉、東京を中心に活動中。重ねられた日常の風景とノイズやグリッチを用いた映像表現を行う。 http://daahara.tumblr.com/ 

goto michito [photo exhibition]
1982年に千葉県生まれ、2005年に大学卒業後、スタジオ23入社し、まったくの素人だった写真の世界へ漠然とした自信を抱えて入る。2007年スタジオ23退社。写真家、野村浩司、アミタマリに師事。アシスタントを4年間務め、2012年に独立。個人の作品としては音楽の匂いがする人のポートレイトを中心に撮っている。

Teamdoyobi”Digital Music 1″到着

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昨日までの涼しい数日間がどんなに救いだったか。
今日から再び夏も本番へ向かっていて、
ジリジリとした熱気が窓の外から入って来る。
部屋の散らかり様が、今の自分の心境を現している。
のび放題になった庭の雑草が気になっているけれど、
大量の蚊に襲われるので、躊躇し続けている。
一軒家をひとりで維持するのは大変だ。

そんな夏を感じる朝、英国よりTeamdoyobiの新譜が届いた。
Teamdoyobiは友人のアレックスとクリスからなるユニットだ。
skam recordsという伝説的なマンチェスターのレーベルに
所属している。この独特なサイケなジャケも健在だ。
アレックスはもう数十年こういうスタイルのものを描いているらしい。

この新譜の数曲は、数ヶ月前にアレックスが我が家に滞在したときに、
何曲かのデモを聴かせてもらっていた。
そのときに興奮して言葉にならない言葉で感嘆の声をあげながら、
聴いたことを覚えている。

仙台で被災し、生まれたばかりの娘と奥さんを連れて、自国に帰国をした彼が、
こうやって新譜がリリースができたことと、彼らの新曲を聴けることが嬉しいし、
興奮してしまう。

この『Digital Music 1』は変更がなければ、vol3まであるはずだ。

buna

DJの原点は

Jicoo Floating bar


気がついたら、よく会う自分の音楽仲間は作品は凄くシリアスなのに、
本人たちの人柄は温和で、ゆるい人ばかり。似た者同士だったのだな。
と気がついた週末でした。


  • Jicoo Floating Barにて
  • 久々のJicooでのDJはやはりとても楽しく、あっという間に過ぎてしまった。
    あの浮遊感と景色を眺めながら聴く音楽やお酒はやはり最高だ。

    今までは、テクニックもないのに激しいスタイルでDjばかりをやっていたけれど、
    JicooでDJをさせて頂くようになってから、実は一番こういうスタイルが自分には
    あっているのではないかと。そんな風に思えて来ている。

    自分のDJの原点は、高校の頃に友達のためにつくっていたおすすめの曲を録音したテープなんだろうな。

    重ねてかけたりしているので、
    全てではないけれど、一部のセットリストをアップします。
    Eraldo Bernocchi, Harold Budd & Robin Guthrie / Harmony and the Play of Light
    Marconi Union / Flying (In Crimson Skies)
    Emuul / Love Theme
    Christian Kleine / Guitar Interrupt
    Brian Eno / 11 Lesser Heaven
    Helios / The Obeisant Vine
    Glasser / Home
    Maps And Diagrams / northern sleeping
    Funckarma / Ymadyn Line
    ENV(itre) / Blue Moon Rising
    Myrakaru / Kimalnu
    Poborsk / us3
    Grimes / Vanessa
    Cepia / The Marina, The Bank and The Eels
    Autechre / Treale

    そして、なんと来月24日にもDJをさせて頂けることになったのです。
    是非遊びに来て下さい。

    buna

    まずは想像することだ

    Narita airport


    目覚めとともに鳥のさえずりが聞こえてくるような自然に囲まれた場所で、
    程よく心身を使って仕事をして、年に1度は海外旅行をし、時々美味しいものを食べて、
    腹を割れる仲間と会って、気が向いたら絵を描いて、
    読書や音楽で心身を踊らせられるような、そんな生活がしたい。
    求めていることは経済的な豊かさではなく、心の豊かさなんだ。

    この不景気のあおりと、震災後の混乱。きっともっと前、
    自分が産まれる前からこの流れはあったのかもしれない。

    酷く苛つくけれど、きっとツケがまわってきたのだろう。
    ツケは必ずいつか払わなければならない。どうあがいても取り立てにやってくる。
    村上春樹がバルセロナで行ったスピーチのタイトル、“非現実的な夢想家として”。
    それは効率や利便さを求め過ぎた結果が今のこの状況だと、
    過去の過ちを反省し、改善していくために、変わる勇気を。
    というメッセージを自分は受け取った。

    人間が想像できることは、人間に実現できることなのだ。
    そう誰かが言ったように、まずは想像することだ。どんな生き方をしたいか。
    何を大切にしなければならないのか。

    行き先を決めずに電車に乗れるほど、我々に余裕ある状況ではない。
    きっとそう考えた方が“効率”が良い。

    buna

    村上春樹 ー非現実的な夢想家としてー




    流行ものを疑ってしまうのは、10代の頃だった。なので村上春樹さんの作品を読んだのも、
    20代の後半だった。それは2001年に渡英する際、友人の現代芸術家、原倫太郎から
    『ねじまきクロニクル』の単行本(上下巻)をプレゼントしてもらったのがきっかけだった。
    今では彼の作品で読んでいないものもないほどで、
    現在『ねじまきクロニクル』の英語版を英語の勉強がてら読んでいる。

    以下、2011年に村上春樹がバルセロナで行った、カタルーニャ国際賞スピーチ「非現実的な夢想家として」。
    毎日新聞から転載したものです。

    ご存じのように、去る3月11日午後2時46分に日本の東北地方を巨大な地震が襲いました。
    地球の自転が僅かに速まり、一日が百万分の1・8秒短くなるほどの規模の地震でした。

    地震そのものの被害も甚大でしたが、その後襲ってきた津波はすさまじい爪痕を残しました。
    場所によっては津波は39メートルの高さにまで達しました。39メートルといえば、
    普通のビルの10階まで駆け上っても助からないことになります。海岸近くにいた人々は逃げ切れず、
    二万四千人近くが犠牲になり、そのうちの九千人近くが行方不明のままです。
    堤防を乗り越えて襲ってきた大波にさらわれ、未だに遺体も見つかっていません。
    おそらく多くの方々は冷たい海の底に沈んでいるのでしょう。そのことを思うと、
    もし自分がその立場になっていたらと想像すると、胸が締めつけられます。
    生き残った人々も、その多くが家族や友人を失い、
    家や財産を失い、コミュニティーを失い、生活の基盤を失いました。
    根こそぎ消え失せた集落もあります。生きる希望そのものをむしり取られた人々も数多くおられたはずです。

    日本人であるということは、どうやら多くの自然災害とともに生きていくことを意味しているようです。
    日本の国土の大部分は、夏から秋にかけて、台風の通り道になっています。毎年必ず大きな被害が出て、
    多くの人命が失われます。各地で活発な火山活動があります。そしてもちろん地震があります。
    日本列島はアジア大陸の東の隅に、四つの巨大なプレートの上に乗っかるような、
    危なっかしいかっこうで位置しています。我々は言うなれば、地震の巣の上で生活を営んでいるようなものです。

    台風がやってくる日にちや道筋はある程度わかりますが、地震については予測がつきません。
    ただひとつわかっているのは、これで終りではなく、別の大地震が近い将来、間違いなくやってくるということです。
    おそらくこの20年か30年のあいだに、東京周辺の地域を、マグニチュード8クラスの大型地震が襲うだろうと、
    多くの学者が予測しています。それは十年後かもしれないし、あるいは明日の午後かもしれません。
    もし東京のような密集した巨大都市を、直下型の地震が襲ったら、それがどれほどの被害をもたらすことになるのか、
    正確なところは誰にもわかりません。

    にもかかわらず、東京都内だけで千三百万人の人々が今も「普通の」日々の生活を送っています。
    人々は相変わらず満員電車に乗って通勤し、高層ビルで働いています。今回の地震のあと、
    東京の人口が減ったという話は耳にしていません。

    なぜか? あなたはそう尋ねるかもしれません。どうしてそんな恐ろしい場所で、
    それほど多くの人が当たり前に生活していられるのか?恐怖で頭がおかしくなってしまわないのか、と。

    日本語には無常(mujo)という言葉があります。
    いつまでも続く状態=常なる状態はひとつとしてない、
    ということです。この世に生まれたあらゆるものはやがて消滅し、すべてはとどまることなく変移し続ける。
    永遠の安定とか、依って頼るべき不変不滅のものなどどこにもない。これは仏教から来ている世界観ですが、
    この「無常」という考え方は、宗教とは少し違った脈絡で、日本人の精神性に強く焼き付けられ、
    民族的メンタリティーとして、古代からほとんど変わることなく引き継がれてきました。

    「すべてはただ過ぎ去っていく」という視点は、いわばあきらめの世界観です。
    人が自然の流れに逆らっても所詮は無駄だ、という考え方です。
    しかし日本人はそのようなあきらめの中に、むしろ積極的に美のあり方を見出してきました。

    自然についていえば、我々は春になれば桜を、夏には蛍を、秋になれば紅葉を愛でます。
    それも集団的に、習慣的に、そうするのがほとんど自明のことであるかのように、熱心にそれらを観賞します。
    桜の名所、蛍の名所、紅葉の名所は、その季節になれば混み合い、ホテルの予約をとることもむずかしくなります。

    どうしてか?

    桜も蛍も紅葉も、ほんの僅かな時間のうちにその美しさを失ってしまうからです。
    我々はそのいっときの栄光を目撃するために、遠くまで足を運びます。
    そしてそれらがただ美しいばかりでなく、目の前で儚く散り、小さな灯りを失い、
    鮮やかな色を奪われていくことを確認し、むしろほっとするのです。
    美しさの盛りが通り過ぎ、消え失せていくことに、かえって安心を見出すのです。

    そのような精神性に、果たして自然災害が影響を及ぼしているかどうか、僕にはわかりません。
    しかし我々が次々に押し寄せる自然災害を乗り越え、ある意味では「仕方ないもの」として受け入れ、
    被害を集団的に克服するかたちで生き続けてきたのは確かなところです。
    あるいはその体験は、我々の美意識にも影響を及ぼしたかもしれません。

    今回の大地震で、ほぼすべての日本人は激しいショックを受けましたし、普段から地震に馴れている我々でさえ、
    その被害の規模の大きさに、今なおたじろいでいます。無力感を抱き、国家の将来に不安さえ感じています。

    でも結局のところ、我々は精神を再編成し、復興に向けて立ち上がっていくでしょう。
    それについて、僕はあまり心配してはいません。我々はそうやって長い歴史を生き抜いてきた民族なのです。
    いつまでもショックにへたりこんでいるわけにはいかない。
    壊れた家屋は建て直せますし、崩れた道路は修復できます。

    結局のところ、我々はこの地球という惑星に勝手に間借りしているわけです。
    どうかここに住んで下さいと地球に頼まれたわけじゃない。
    少し揺れたからといって、文句を言うこともできません。
    ときどき揺れるということが地球の属性のひとつなのだから。
    好むと好まざるとにかかわらず、そのような自然と共存していくしかありません。

    ここで僕が語りたいのは、建物や道路とは違って、簡単には修復できないものごとについてです。
    それはたとえば倫理であり、たとえば規範です。それらはかたちを持つ物体ではありません。
    いったん損なわれてしまえば、簡単に元通りにはできません。機械が用意され、
    人手が集まり、資材さえ揃えばすぐに拵えられる、というものではないからです。

    僕が語っているのは、具体的に言えば、福島の原子力発電所のことです。

    みなさんもおそらくご存じのように、福島で地震と津波の被害にあった六基の原子炉のうち、
    少なくとも三基は、修復されないまま、いまだに周辺に放射能を撒き散らしています。
    メルトダウンがあり、まわりの土壌は汚染され、おそらくはかなりの濃度の放射能を含んだ排水が、
    近海に流されています。風がそれを広範囲に運びます。

    十万に及ぶ数の人々が、原子力発電所の周辺地域から立ち退きを余儀なくされました。
    畑や牧場や工場や商店街や港湾は、無人のまま放棄されています。そこに住んでいた人々はもう二度と、
    その地に戻れないかもしれません。その被害は日本ばかりではなく、
    まことに申し訳ないのですが、近隣諸国に及ぶことにもなりそうです。

    なぜこのような悲惨な事態がもたらされたのか、その原因はほぼ明らかです。
    原子力発電所を建設した人々が、これほど大きな津波の到来を想定していなかったためです。
    何人かの専門家は、かつて同じ規模の大津波がこの地方を襲ったことを指摘し、
    安全基準の見直しを求めていたのですが、電力会社はそれを真剣には取り上げなかった。
    なぜなら、何百年かに一度あるかないかという大津波のために、大金を投資するのは、
    営利企業の歓迎するところではなかったからです。

    また原子力発電所の安全対策を厳しく管理するべき政府も、原子力政策を推し進めるために、
    その安全基準のレベルを下げていた節が見受けられます。

    我々はそのような事情を調査し、もし過ちがあったなら、明らかにしなくてはなりません。
    その過ちのために、少なくとも十万を超える数の人々が、
    土地を捨て、生活を変えることを余儀なくされたのです。
    我々は腹を立てなくてはならない。当然のことです。

    日本人はなぜか、もともとあまり腹を立てない民族です。我慢することには長けているけれど、
    感情を爆発させるのはそれほど得意ではない。そういうところはあるいは、
    バルセロナ市民とは少し違っているかもしれません。
    でも今回は、さすがの日本国民も真剣に腹を立てることでしょう。

    しかしそれと同時に我々は、そのような歪んだ構造の存在をこれまで許してきた、
    あるいは黙認してきた我々自身をも、糾弾しなくてはならないでしょう。
    今回の事態は、我々の倫理や規範に深くかかわる問題であるからです。

    ご存じのように、我々日本人は歴史上唯一、核爆弾を投下された経験を持つ国民です。
    1945年8月、広島と長崎という二つの都市に、米軍の爆撃機によって原子爆弾が投下され、
    合わせて20万を超す人命が失われました。死者のほとんどが非武装の一般市民でした。
    しかしここでは、その是非を問うことはしません

    僕がここで言いたいのは、爆撃直後の20万の死者だけではなく、
    生き残った人の多くがその後、放射能被曝の症状に苦しみながら、
    時間をかけて亡くなっていったということです。
    核爆弾がどれほど破壊的なものであり、放射能がこの世界に、人間の身に、どれほど深い傷跡を残すものかを、
    我々はそれらの人々の犠牲の上に学んだのです。

    戦後の日本の歩みには二つの大きな根幹がありました。
    ひとつは経済の復興であり、もうひとつは戦争行為の放棄です。
    どのようなことがあっても二度と武力を行使することはしない、経済的に豊かになること、
    そして平和を希求すること、その二つが日本という国家の新しい指針となりました。

    広島にある原爆死没者慰霊碑にはこのような言葉が刻まれています。

    「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」

    素晴らしい言葉です。我々は被害者であると同時に、加害者でもある。
    そこにはそういう意味がこめられています。
    核という圧倒的な力の前では、我々は誰しも被害者であり、また加害者でもあるのです。
    その力の脅威にさらされているという点においては、我々はすべて被害者でありますし、
    その力を引き出したという点においては、またその力の行使を防げなかったという点においては、
    我々はすべて加害者でもあります。

    そして原爆投下から66年が経過した今、福島第一発電所は、三カ月にわたって放射能をまき散らし、
    周辺の土壌や海や空気を汚染し続けています。それをいつどのようにして止められるのか、
    まだ誰にもわかっていません。これは我々日本人が歴史上体験する、
    二度目の大きな核の被害ですが、今回は誰かに爆弾を落とされたわけではありません。
    我々日本人自身がそのお膳立てをし、自らの手で過ちを犯し、
    我々自身の国土を損ない、我々自身の生活を破壊しているのです。

    何故そんなことになったのか? 戦後長いあいだ我々が抱き続けてきた核に対する拒否感は、
    いったいどこに消えてしまったのでしょう?我々が一貫して求めていた平和で豊かな社会は、
    何によって損なわれ、歪められてしまったのでしょう?

    理由は簡単です。「効率」です。

    原子炉は効率が良い発電システムであると、電力会社は主張します。
    つまり利益が上がるシステムであるわけです。また日本政府は、とくにオイルショック以降、
    原油供給の安定性に疑問を持ち、原子力発電を国策として推し進めるようになりました。
    電力会社は膨大な金を宣伝費としてばらまき、メディアを買収し、
    原子力発電はどこまでも安全だという幻想を国民に植え付けてきました。

    そして気がついたときには、日本の発電量の約30パーセントが原子力発電によって
    まかなわれるようになっていました。国民がよく知らないうちに、地震の多い狭い島国の日本が、
    世界で三番目に原発の多い国になっていたのです。

    そうなるともうあと戻りはできません。既成事実がつくられてしまったわけです。
    原子力発電に危惧を抱く人々に対しては「じゃああなたは電気が足りなくてもいいんですね」
    という脅しのような質問が向けられます。国民の間にも「原発に頼るのも、まあ仕方ないか」
    という気分が広がります。高温多湿の日本で、夏場にエアコンが使えなくなるのは、
    ほとんど拷問に等しいからです。原発に疑問を呈する人々には、
    「非現実的な夢想家」というレッテルが貼られていきます。

    そのようにして我々はここにいます。効率的であったはずの原子炉は、
    今や地獄の蓋を開けてしまったかのような、
    無惨な状態に陥っています。それが現実です。

    原子力発電を推進する人々の主張した「現実を見なさい」という現実とは、実は現実でもなんでもなく、
    ただの表面的な「便宜」に過ぎなかった。
    それを彼らは「現実」という言葉に置き換え、論理をすり替えていたのです。

    それは日本が長年にわたって誇ってきた「技術力」神話の崩壊であると同時に、
    そのような「すり替え」を許してきた、我々日本人の倫理と規範の敗北でもありました。
    我々は電力会社を非難し、政府を非難します。それは当然のことであり、必要なことです。
    しかし同時に、我々は自らをも告発しなくてはなりません。我々は被害者であると同時に、
    加害者でもあるのです。そのことを厳しく見つめなおさなくてはなりません。
    そうしないことには、またどこかで同じ失敗が繰り返されるでしょう。

    「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」

    我々はもう一度その言葉を心に刻まなくてはなりません。

    ロバート・オッペンハイマー博士は第二次世界大戦中、原爆開発の中心になった人ですが、
    彼は原子爆弾が広島と長崎に与えた惨状を知り、大きなショックを受けました。
    そしてトルーマン大統領に向かってこう言ったそうです。

    「大統領、私の両手は血にまみれています」

    トルーマン大統領はきれいに折り畳まれた白いハンカチをポケットから取り出し、
    言いました。「これで拭きたまえ」

    しかし言うまでもなく、それだけの血をぬぐえる清潔なハンカチなど、
    この世界のどこを探してもありません。

    我々日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった。
    それが僕の意見です。

    我々は技術力を結集し、持てる叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、
    原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を、
    国家レベルで追求すべきだったのです。たとえ世界中が「原子力ほど効率の良いエネルギーはない。
    それを使わない日本人は馬鹿だ」とあざ笑ったとしても、我々は原爆体験によって植え付けられた、
    核に対するアレルギーを、妥協することなく持ち続けるべきだった。核を使わないエネルギーの開発を、
    日本の戦後の歩みの、中心命題に据えるべきだったのです。

    それは広島と長崎で亡くなった多くの犠牲者に対する、我々の集合的責任の取り方となったはずです。
    日本にはそのような骨太の倫理と規範が、そして社会的メッセージが必要だった。
    それは我々日本人が世界に真に貢献できる、大きな機会となったはずです。
    しかし急速な経済発展の途上で、「効率」という安易な基準に流され、
    その大事な道筋を我々は見失ってしまったのです。

    前にも述べましたように、いかに悲惨で深刻なものであれ、
    我々は自然災害の被害を乗り越えていくことができます。
    またそれを克服することによって、人の精神がより強く、深いものになる場合もあります。
    我々はなんとかそれをなし遂げるでしょう。

    壊れた道路や建物を再建するのは、それを専門とする人々の仕事になります。
    しかし損なわれた倫理や規範の再生を試みるとき、
    それは我々全員の仕事になります。我々は死者を悼み、災害に苦しむ人々を思いやり、彼らが受けた痛みや、
    負った傷を無駄にするまいという自然な気持ちから、その作業に取りかかります。それは素朴で黙々とした、
    忍耐を必要とする手仕事になるはずです。晴れた春の朝、ひとつの村の人々が揃って畑に出て、土地を耕し、
    種を蒔くように、みんなで力を合わせてその作業を進めなくてはなりません。
    一人ひとりがそれぞれにできるかたちで、しかし心をひとつにして。

    その大がかりな集合作業には、言葉を専門とする我々=職業的作家たちが進んで関われる部分があるはずです。
    我々は新しい倫理や規範と、新しい言葉とを連結させなくてはなりません。
    そして生き生きとした新しい物語を、そこに芽生えさせ、立ち上げてなくてはなりません。
    それは我々が共有できる物語であるはずです。それは畑の種蒔き歌のように、
    人々を励ます律動を持つ物語であるはずです。我々はかつて、まさにそのようにして、
    戦争によって焦土と化した日本を再建してきました。その原点に、
    我々は再び立ち戻らなくてはならないでしょう

    最初にも述べましたように、我々は「無常(mujo)」という移ろいゆく儚い世界に生きています。
    生まれた生命はただ移ろい、やがて例外なく滅びていきます。大きな自然の力の前では、人は無力です。
    そのような儚さの認識は、日本文化の基本的イデアのひとつになっています。
    しかしそれと同時に、滅びたものに対する敬意と、そのような危機に満ちた脆い世界にありながら、
    それでもなお生き生きと生き続けることへの静かな決意、
    そういった前向きの精神性も我々には具わっているはずです。

    僕の作品がカタルーニャの人々に評価され、このような立派な賞をいただけたことを、誇りに思います。
    我々は住んでいる場所も遠く離れていますし、話す言葉も違います。依って立つ文化も異なっています。
    しかしなおかつそれと同時に、我々は同じような問題を背負い、同じような悲しみと喜びを抱えた、
    世界市民同士でもあります。だからこそ、日本人の作家が書いた物語が何冊もカタルーニャ語に翻訳され、
    人々の手に取られることにもなるのです。僕はそのように、
    同じひとつの物語を皆さんと分かち合えることを嬉しく思います。夢を見ることは小説家の仕事です。
    しかし我々にとってより大事な仕事は、人々とその夢を分かち合うことです。
    その分かち合いの感覚なしに、小説家であることはできません。

    カタルーニャの人々がこれまでの歴史の中で、多くの苦難を乗り越え、ある時期には苛酷な目に遭いながらも、
    力強く生き続け、豊かな文化を護ってきたことを僕は知っています。
    我々のあいだには、分かち合えることがきっと数多くあるはずです。

    日本で、このカタルーニャで、あなた方や私たちが等しく「非現実的な夢想家」になることができたら、
    そのような国境や文化を超えて開かれた「精神のコミュニティー」
    を形作ることができたら、どんなに素敵だろうと思います。
    それこそがこの近年、様々な深刻な災害や、悲惨きわまりないテロルを通過してきた我々の、
    再生への出発点になるのではないかと、
    僕は考えます。我々は夢を見ることを恐れてはなりません。そして我々の足取りを、
    「効率」や「便宜」という名前を持つ災厄の犬たちに追いつかせてはなりません。
    我々は力強い足取りで前に進んでいく「非現実的な夢想家」でなくてはならないのです。
    人はいつか死んで、消えていきます。しかしhumanityは残ります。
    それはいつまでも受け継がれていくものです。我々はまず、その力を信じるものでなくてはなりません。

    最後になりますが、今回の賞金は、地震の被害と、原子力発電所事故の被害にあった人々に、
    義援金として寄付させていただきたいと思います。そのような機会を与えてくださったカタルーニャの人々と、
    ジャナラリター・デ・カタルーニャのみなさんに深く感謝します。
    そして先日のロルカの地震の犠牲になられたみなさんにも、深い哀悼の意を表したいと思います。

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