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例えば映画で感動するポイントとして、
凍てついた関係が溶けて一つになる。というのがあります。
それほど日々理解し合う難しさを感じているのかもしれません。
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Happiness is never perfect
20代中盤、自分の求めている生き方、生活、シアワセ。
それら全部がわからなくなりました。ただわかっていたのは当時住んでいた、
東京にはそれが見当たらない。ということだけでした。
その空虚感が遥かかなたにある英国まで自分を動かしました。
帰国して7、8年が経ち、今は何が大切か。
ということだけはかなりクリアになっています。
それもあり、以前よりは、小さなシアワセを見つけることができるようになり、
それらをかき集めて日々なんとか、騙し騙し生き長らえています。
海外での生活経験が無かったらこうはならなかったと思います。
では、シアワセとは何かという、重苦しい問いがあります。
できれば考えたくないのが本心です。頭痛がしそうですからね。
もうこの際じれったいので乱暴に“満たされた状態、瞬間”と定義つけちゃいます。
だとすると、何が満たされていないのか。
にそれをみつけるヒントがあるのかもしれません。
buna
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ここ数日70年代の音楽に惹かれていて、
その頃のソウルやファンク、ダブを聴くことが多いです。
夏との相性が良さそうなこれらの音楽ですが、秋や冬に聴くのもあったかくて良いのです。
今年の冬はこういうあたたかい音楽で元気に乗り切りたいものです。
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音楽において本物の体験とは
数日前、自分がジャケをやらせて頂いたレコードがレーベルから届きました。
(やっとです。まぁ、そのへんの海外のユルさはそれで良いんです)
何を今さらと思う人も少なくないと思いますが、レコードはやっぱり音が良いです。
音の粒子が細かく、温かみがあります。そしてご存知のとおりA面とB面があり、
毎回ひっくり返す手間が面倒ではあるのですが、音楽を集中して聴く。
という贅沢な時間を過ごすことができるのです。
普段はmp3など、かなり情報が減らされたものを聴いています。これは、
Googleストリートビューで海外に行った気になっているのと変わらないかもしれません。
できれば何においても本物を味わいたいものです。音楽において本物の体験というのは、
ライヴを頂点として、その次はレコードだと言える筈です。
(録音芸術的なものは例外として)
これをきっかけにレコードを聴く時間を増やそうと思います。
buna
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木版画を始めたと思ったら、人物画に手を出したりと、
創作に関しては突発的で、浮気性なんですよね。
10代の頃に描いた絵を背景に敷いたら怖い絵ができました。
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ゆっくりとじっくりと
先月来日した英国人の友人とは、遠く離れても、
手紙やメールで、こっちは暑いとか寒いとか、雨だとか晴れているとか、
風邪ひいたとか、ジョギングをはじめたとか、
新作ができたとか、何を食べたとか、奥さんが出張で留守だから寂しいだとか、
そんなやりとりをしています。
最近はスマートフォンを持ったので、
簡単なメールも来るようになりました。
それでもやっぱり基本は手紙と同じような感覚なのです。
なんというか、そこに“心”を感じるのです。
手紙でやりとりしていた時代のテンポで、
肌で触れたものを大切にして、信じて生きていきたいです。
ゆっくりとじっくりと。
buna
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10月も半ばになるというのに、関東にも今年最大の台風が来ています。
外に出かける必要が無ければ、特に苦ではないですけどね。
雨の日は湿度が上がるので、やっぱり気持ち墨汁の伸びが良いです。
きっとこの台風が過ぎ去ったときに本格的な秋の到来になるのかな。と。
この時期、心に響くのがSIONの歌声です。
SIONのライヴが無性に観たくなりました。
buna
深夜のバルコニーにて
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誘った相手に理由を全く説明されずにただ「行けません」と断られることがありますが、
一度は我慢するものの、二度あった場合はそれ以降誘わないことにしています。
もともと人を誘ったりするのが苦手な質なので、相手の対応に敏感になってしまいます。
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パーティーはみんなでつくるもの
連休に何かをすることなんて滅多にないのですが、今回は例外です。
この連休は友人たち十数人と一泊二日で千葉県のいすみ市まで行って来ました。
波乗りをやっている人には知られた場所のようで、
サーフショップや小洒落た店が並んでたりと、
同じ千葉県でもだいぶ違う南国風情のある街並でした。
今回滞在させて頂いたのは中滝アートヴィレッジという多目的施設。
標高120メートルの山の上にある施設で、カフェ・レストラン・Bar・宿泊施設・スタジオ
・多目的ホール・野外ステージ・野外シアターなど色々なアクティビティができ、
それだけでなく、脱都会を目指す人向けにシェアハウスも経営しているという面白い場所でした。
クラブイベントが縮小化していく中で、これからは“イベント”というかたちではなく、
誰が運営側で、誰が出演者や客かということなく、
プライベートな“パーティー”をベースに外に開きながら、シーンなり、
コミュニティをつくりあげていくことに少し希望を感じています。
パーティーはみんなでつくるものです。
これがイベントとの大きな違いだと考えています。
buna
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先日観に行ったポップアート展の影響もあり、版画への興味が強くなり、
試験的に始めました。始めたと言ってもまだ数枚試しただけなので、まだまだこれからです。
木を削る作業は楽しいのですが、何しろ時間がかかります。
デジタル加工をしはじめた頃、違和感を引きずりながらも続けて。
これもアリなんじゃないかと思えるようになりました。
でも、今年の中盤頃から再びその違和感が大きくなって、
今はできるだけ自分の手でできることは自分の手でやる方向にシフトしています。
もちろん、金輪際デジタル加工をやらないということではないです。
簡単にできてしまうものに、強度のある何かを宿らせることはできないのでは?
そんな風に思いますし、やっぱり成長するには挑戦が必要なんです。
buna
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やっぱり文章でもテクニックはなく、雰囲気でごまかすという、
いつものスタイルです。文章を書くことを仕事にしていたり、
小説を書いていたことがあるなんて、正直大きな声では言えません。
なんとなく
“文字離れ化”という言葉を目にしなくなったのは、
WEB媒体の発達、日常化が原因でしょうか。
毎日メールしたり、“コメント”したり、Twitterでつぶやいたり、
多くの人が文字を日常的に書くようになりました。
だからと言って文章力が上達したかというとそうでもなく、
コミュニケーション力が向上したのかというと、
そうでもなく。
なんとなく繋がったような気になったり、
なんとなく知った気になる程度のものだと思うのです。
なので仕事でも友人とでも、メールでのやりとりで、
相手の文章表現力を見極めて読まないと、深読みし過ぎてしまったり、
誤解したりしてしまいます。
例えば、漢字でも聞くと聴く、見ると観る。書くと描く。変わると代わる。
などはニュアンスが違いますし、メールのやりとりによっては
まったく違う受け止め方になってしまうのです。
句読点の打つ場所でも変わりますし。
面倒なやつだと思われるかもしれませんが、
日本語って本来深く、豊な表現ができるもので、
そこは少しでも時代の流れに抗って、
出来るだけ身につけたいのです。
buna
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喉に少し痛みを感じ、鼻水も酷くなったので医者に行きました。
どうやら花粉症か何かのアレルギー性のものを少しこじらしているようです。
それでなくとも季節の変わり目、寒暖の差が激しいので、
体調管理には気をつけたいものです。
さて、海外のインディ・ヒップホップ、ロック、
エレクトロ・ミュージックを中心に紹介し、
サポートするための音楽専門のニュースサイト、
UNCANNYの一周年記念イベントのフライヤーなどの
デザインをさせてもらいました。
イベント当日には顔をだす予定です。
詳細はこちらで→ http://uncannyzine.com/posts/9708
buna
建設中の両親の家 2007
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我が家の床にはナメクジが這っていることがよくあり、
昨日は二度もあやまって踏みつぶして最悪な感触がしばらく足の裏にあった。
自然の中に生きるとはこういうことかと。自分になんとか言い聞かせる。
考えてみれば外と内を分けているのはこの木造の壁やガラスだけなのに、
いつのまにか別世界にでもいるような気になっている。
大自然の中、テントで寝たらもっと発見があるかもしれない。
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突っ走るとき
夏を乗り切った小さな達成感を覚えながら、
リビングから庭を軽やかに飛ぶ蝶を眺めて小さな幸せを感じている。
同世代はバリバリとオフィスで仕事をしているというのに、
この自分の呑気さに呆れてしまう。
でも、これが自分の選んだ生き方で、その代償は払っている。
とは言え、少し低空飛行過ぎる。
最近知り合ったある人が、“今は突っ走るとき”と言って忙しくしている。
それを見ていると自分にもそんな突っ走っていた時期が何度かあり、
その度に頓挫してきたことを思い出した。
自分はビジネスを中心になってやることは不得意だけれど、
少し距離を置いたところで力になることはできる。
最近、そんな風に思うようになった。
次の“突っ走る時期”がそこまで来ているかもしれない。
buna