QUEST FOR THE CENTREPIECE by buna

Archive for 2013.3

気がつけば2年間

"jicoo floating bar" x CMFLG
Photo by Dela(CMFLG)


ブレないことを評価して頂けるとことがありますが、ブログでの文体に関してはブレブレです。
最近では読んで頂いている方々何人かの顔を思い浮かべながら書くようにしています。


4月5日のJicoo Floating BarでのDJの準備は70%ほど進みました。
ドイツのレーベルや音楽関係者に出会う度にその安否?を確認していた、
活動を再開したarovane。彼の曲は必ずかけたいと思っています。

気がつけば2年間もやらせて頂いているので、選曲だけなら難しくないのですが、
それをどう自分が楽しみ、そしてお客さんにも楽しんでもらうかという部分で葛藤しています。
そういうところからも自分の表現スタイル、思考の癖と向き合うことになり、
学ぶことがあります。

4月5日の詳細は以下です。

http://www.jicoofloatingbar.com/

金曜の夜に非日常的な時間を過ごしたい方など、是非遊びに来て下さい。

buna

起爆剤の一つとして

composition_012


目覚めが悪い日々が続いています。花粉症の影響です。
今日はシトシトと雨が降っているというのもありますが、
友人が目覚めと共に「あー、疲れた」と呟いた、マンチェスターでのある朝を思い出しました。


昨晩、サッカーの日本代表が負けヨルダンに負けたのは、意外でした。
当然勝つものだと信じていたので、危機感もなく応援していました。
まぁ、こういうこともあります。次回6月のオーストラリア戦には勝利し、
ワールドカップへの切符を手に入れて安心させて欲しいです。

その日本代表の内田篤人(シャルケ)のインタビューを読み、競争心について少し考えています。

自分との闘いだと思っていることから、それが殆どありません。
マイペースにやりたいので、他人に乱されたくないというのもあります。
これは自分の不安定さ、弱さ故の自己防衛です。

要は、自分に打ち勝つための、起爆剤の一つとして競争心が役に立つ。
ということであり、他にもそれになりうるものはあると思うので、
それぞれが自分を奮い立たせるものを見つけることが、大切なんだろうと。
思います。

さて、なんでしょうね。

buna

自由ほど不自由なことはない

Dj tatami


春の夜の夢(はるのよのゆめ)とは古語では「短くはかかないもの」の例えだそうです。
ここ数日、古語辞典を開くのが楽しいのです。日本人なので、日本語くらいはちゃんと話し、
書けるようにはなりたいものです。


自由ほど不自由なことはない

一昨日くらいから冬がもどって来てしまいました。
昨晩は録音したばかりの自分のmixを聴きながらソファーで寝てしまい、
寒さで目を覚ますという失態をおかしました。毛布に包まっていたことが救いでした。

DJの準備をしていて再確認するのが、好き勝手につくると表現が内に向かい、
伝わりにくいものになりがちだということです。
昨日アップしたクロッキーのように、なにかしら“縛り”がある方が
観た人の心に届くようです。それに正直、縛りがあった方が簡単なのです。
自由ほど不自由なことはない。ということかと。

JicooでのDJはあくまでも空間演出なので、
エゴを抑えてバランスを取ることを覚える必要があります。
さて、続きをやります。

buna

深く潜る

room1


薬が効いたので制作を再開できました。
花粉症が経済的にも日本に打撃を与えているという説は説得力があります。
外出すらする気にならないですからね。


深く潜る

絵を描くのもDJも、深いところに潜っていくような感覚なので、
閉所恐怖症気味の自分はそれに打ち勝つ必要があります。
でも、一度潜ってしまえばこっちのものです。
いつ次の仕事が来るかわからないので、今のうちに実験や鍛錬をしておきたいのです。

また、後日詳細はアップしますが、
4月5日に今年初のDJをJicooでやれることになったので、
DJの準備と絵の制作を同時進行させています。

今回アップした絵は、ある雑誌に掲載された海外の部屋の写真を、
トレース紙をつかってうつしたものです。やったことがなかった技法なので、
新鮮で楽しめています。これをどう発展させていけるかまだ見えていませんが、
行き着けるところまでやってみます。

buna

嗅覚

TR-707


こんなにも花粉症が酷かったことは、今までなかったかもしれません。
制作モードに入った途端に体調不良でダウンしてしまうというパターン、
これも毎回恒例です。そんなことも言ってられないので、
医者に薬をもらい、こうやってプログを書くことができています。


先週、欧州、北米、アジア・ツアーを控えているKouhei Matsunagaくんが、
成田から飛び立つ前に我が家に数日滞在しました。
彼の活躍や姿勢にはいつも良い刺激をもらい、自分をクリエイティヴにさせてくれます。
自分とはタイプがかなり違う印象を持たれますが、
プリミティブに、そしてシンプルに大鉈(オオナタ)を
振るようなスタイルに共通点を感じています。

自分にはない彼の凄いところの一つに、するどい嗅覚と言うか、
直感なのでは。と見ています。例えば、どこに行って、誰と会うか。
そういうところに無駄があまりない印象があります。
サッカーで言うと、良いポジションにいてゴールを量産するタイプのストライカーかと。
(自分は中盤からミドルシュートを狙って、たまにゴールするタイプ)

なので、花粉症で窒息しそうになるほど鼻をつまらせている場合じゃありません。

buna

8割と7割

lines
2013 “lines”


8割方花粉が飛び終えたらしいですが、数日前から花粉症が酷いです。
それに伴い、花粉症対策やそれに効く薬品などが話題になっています。

そもそも、花粉の量が増えたのは、
戦後に杉の木を植え過ぎたことが大きな原因の一つらしいです。
成長が早く、経済的かつ効率的という資本主義が好むアレです。
原発にしろ、こういう人間の怠慢、傲慢さが自らを苦しめる結果になっているというのが、
なんとも言いがたいです。

今日明日のことえお考えた対処法も大事ですが、
そういう問題の根っこの部分を変えていかなければならないのでしょう。
これも自然界からの警告の一つと受け止めたいと思います。

千葉県知事選挙

千葉県知事選挙、7割の人が投票に行かなかったこと。
これはどう受け止めて良いのでしょう。もちろん、選挙に行かないのも自由ですし、
ただ投票率が高ければ良いというものでもないでしょう。

どうあれ、脱原発だったり、環境問題への対策はこれで遅れるのではないか。
そう心配しております。

今日も新作をアップしました。何故かひきつけられるので気に入っています。

buna

笑顔の向こうの悲痛

composition 009


制作のリズムが戻ってきていて、墨絵とグラフィックの二つを同時進行しています。
描かずに一日を終えると居心地の悪さを感じるようになってきているので、
本格的に制作モードに切り替わりつつあります。
アップしたのは実験的につくったものですが新作”composition009″です。


笑顔の向こうの悲痛

311以降、自分の中でずっとひっかかっていることがあります。
それは「何故に自分は被災地に行かないのか」です。
経済的には厳しいにしろ、時間はあった筈なのです。

異臭の中、瓦礫処理をしたり、写真を洗ったりした友人も何人かいます。
何度か行こうかと人に声をかけたり、かけられたりもしました。
でも、結果的に行きませんでした。

それは自分の弱さが原因だと思うのです。
現地の人たちと触れて、元気づけるつもりが、
逆に元気をもらって帰って来た。そう耳にすることもあります。
しかし、どうも自分はその笑顔の向こうの悲痛に歪む顔が見えてしまうこと、
そして、311以降の混乱している自分自身を更に不安定にさせる気がして、
怖かったんだと思います。それは今も同じです。

それに加えて身体も丈夫な方ではないので、
厳しい気候や労働で体調を壊すのを、容易に想像ができるのです。
きっとそれは自分の役割ではなく、何か他に自分にできることがあるのだと。
そう言い訳をしています。もちろん、後ろめたさはあります。

なので、いつかきっと何かで力になりたい。
そう思っているのは本当です。

buna

自分らしさなのか、ただの未熟者なのか

2602
2009 2602


20年来の友人の展示会、そして311から二年目、それらに背中を押され、
長い間背を向けていたドローイングの制作をはじめました。

久々に描くので、当然うまく描けません。
そうなると、過去の自分の作品から雛形のようなものを引っ張ってきて。
それに頼ろうとするので、以前のそれをなぞるような、
とても創造的とは言えない状態になってしまいます。
当然それは退屈な作業ですから、筆が止まってしまいます。

“テクニックはアレだけど、雰囲気がある”
これは絵でもDJでも言われることです。
これが自分らしさなのか、ただの未熟者なのか。
思い出せば高校の頃、いや、小学校の頃からそう言われていました。
どこかでテクニックをつけることを拒否しているように思えます。
(と言っても美大に合格するレベルの技術はあります)

要は基礎がなっていない。
今日気がついたことはこれです。

因に今回アップしたのは2009年の墨絵です。

buna

誇れる生き方を

upload


「日本人は力を合わせて東北の人を助けると思っていました」
これはアメリカ合衆国出身の日本文学者・日本学者、ドナルド・キーン。
現在90歳、残りの人生を日本人として生きることを選んだ氏の言葉。

2001年、日本での生活や文化に嫌気がさして、家族や友人を置いて、
日本を捨てたと言われるようなかたちで渡英しました。
そして、多人種、他宗教が共存する、世界のミニチュア版のような街、
マンチェスターに身を置き、911を経験しました。
そんな環境は自分が日本人であることと共に、東洋人であることを思い知らせるには十分でした。
同時に、日韓W杯の時期とも重なり、英国メディアが取り上げる日本の文化、習慣を目にすることで、
こんなにも自分が誇りに思えるものが日本にはあったことに気がつかされました。

2005年に完全帰国をし、今まで弱音を吐かずにここで生活ができているのは、
そのときの体験があったからだと思います。
しかし、311以降この2年、復興は思うように進んでもおらず、
未だに原発関係では私利私欲が暴走、そして国民の無関心。
この様子をみていると再び祖国への苛立がつのり、時折憎しみに似たモノに変わる瞬間があります。

しかし、日本というのは自分自身なのだ。そう思うようにもなり、
その苛立を憎しみに変えるのではなく、活力に変えられるように努めています。
何しろ自分自身が何もできていないわけですから。
それぞれ一人一人が誇れる生き方をするしか、頭の足りない僕には考えつかないのです。

以下、読売新聞に掲載されている氏の記事
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120309-OYT1T00135.htm

buna

つくり続けることにも

sokif
Sokif (revirth/ekoune/cmflg)


土曜日は花粉症と闘いながらも友人のsokifのライヴを観に千葉市へ。
同じ千葉県と言っても、ここからは40分かかる殆ど行かないエリアなので、
土地勘がなく毎回迷ってしまいます。

ということで、千葉Treasure River Book Cafeで開催されている
イベント、“東郷カレー”へ。
sokifのライヴは、畳み掛けるような音が多い最近のこのシーンの中で、
多すぎず少なすぎずちょうど良い音数で、所属しているレーベルの影響なのか、
四つ打ちも取り入れていました。
今まで彼のライヴは何度も観ていますが、
今回は今までに観たことがない進化したセットという印象でした。
入場者にふるまわれるカレーで満腹になったことも手伝い、
途中気持ち良くて寝てしまいました。

彼と話をした中で、印象に強く残っているのが、
画家でもある彼の義理の父親の言葉。
「つくり続けることにも、才能が必要だ」でした。
何しろ作らない時期が長自分には突き刺さる言葉でした。

buna

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