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年寄りくさく聞こえるかもしれないですが、
残りの人生をどう生きるか。
ここ数ヶ月、これを考えなければならない環境に置かれ続けています。
40歳になった今年。
“自分達が死んだら”という仮定で両親が話をすることが増えました。
10年以上前、シーツを新調した母が、
「これが最後のシーツになるかもしれないわね」
とつぶやいた時の、それまで経験したことがない切ない感覚は忘れません。
しかし、最近ではそれが日常茶飯事になりました。
そして、今年の正月に大親友が事故で死にかけたことも、
死について考えさせられたきっかけでした。
どう生きるかを考えることは、どう死ぬかを考えることでもあるらしいです。
この誰かの言葉が、今は重く響きます。
最近、残りの人生を捧げたいこと。
そう信じられる仕事を見かけるようになりました。
今まで経験してきたことを活かしながら、
人の役に立ち、挑戦と成長をすることができる、
そんな類の仕事をしている人たちがいるらしいのです。
どうにかして、そこに僕も立ちたくて、
(引越しの準備をしながら)動いています。
今年は、人生の岐路になりそうです。
buna