QUEST FOR THE CENTREPIECE by buna

Archive for 2012.3

【Book】Banksy『Wall and Piece』

my book collection
title:Wall and Piece


とても好きなアーティストではあるけれど、
自分のスタイルに直接なんら影響を与えていないという
珍しい存在のBanksy。

彼のスタイルを真似たグラフィティ・アーティストが、数多く生まれたけれど、
誰一人彼を越えた人はいないだろう。
彼の特徴はそのステンシルで描かれたスタイルだけでなく、
そのアイデア(だいたいが皮肉)とユニークさにあり、これはなかなか真似ができるものではない。
本物のオリジナリティーというものがあるならば、彼こそがそれを持っていると思う。

その他にもメッセージ性と意外性、反体制と反社会性があり、そしてインテリジェントだ。
パンク・カルチャーをルーツとする自分には、最高に格好良いスタイルだ。

今では、アメリカのセレブリティにも指示され、
彼の作品には何千万円という値段がついているという。
間違いなく、今生きるアーティストの中で、ストリートから大成功した珍しい例だろう。

自分の作品には彼のようなスター性も話題性、センセーショナルな要素もない。
だとすると。自分には何があるのか。どういう道があるのか。
そして、どうなりたいのか。
そろそろ、それをもっと具体的にしていきたい。

Banksyの作品は、以下の彼のサイトで見ることだできる。
とても分かりやすく、そして面白いので是非時間のあるときにでも。
http://www.banksy.co.uk/

彼なら良い落語家になれそうだ。

buna

混乱を避けるため?




家の前の公園に撒かれた白い粉は、
土壌安定剤塩化カリウムだったらしい。

砂ぼこり防止のために使われるものらしいが、
調べたところ除染にも使われるものだ。

でも、これが除染なのか、そうでないのか。
周辺住民への説明はない。

これも混乱を避けるためだろうか。

この立て看板、よく見ると脱字があるのが、更に残念。

buna

「書く」こと




小学校の低学年の頃、
きっかけは“絵日記”という言葉を誰かから聞いたからだったと思う。

それから絵日記を自主的に書き始め、
いつからか絵と日記を別々に書くようになり、
日記は数年間書かなかったこともあった。

で、今はこのブログを毎日のように書いている。

自分の頭の整理のためでもあり、
それは人に伝えたいことがあるからだ。


Webやイベントを通じて人と人がつながる「場」を創造し、
つながりから生まれた想いやアイディアをカタチにしていく、fairground。

そのサイトのWorkShop連動企画 HumanMotionにて
「書く」というテーマで一筆書かせて頂きました。
お時間のあるときにでも。

http://fairground-web.com/feature/hm/post3182/

buna

【映画】ポロック・2人だけのアトリエ




芸術家は人間的に大きく欠けているモノがある。そう感じることが多い。
それを補うために芸術があるとも。

こんなことを友人に言われたことがある。

「bunaはそのままで良いよ。人間的にはかなり欠けているところもあるけれど、
それを治してしまったら、きっと芸術の才能が鈍るよ」

あたたかい嬉しい言葉と受け取ることもできるけれど、正直、複雑な気分だった。


豊な感受性ゆえの苦しみ

『POLLOCK』(邦題:ポロック・2人だけのアトリエ) (2000)
というジャクソン・ポロックを題材にした映画を観たことがある。


ポロックは豊な感受性ゆえに、精神的に不安定で破滅的な“弱い”人間だった。
そんな彼をマネージャーとして、ときにプロモーターとして支えた奥さん。
そんな夫婦を描いたヒョーマンドラマだ。


芸術家と呼ばれる人間のパートナー、奥さんになることは大変なことだろう。
それが天才と呼ばれるほどの芸術家であれば尚更だ。
うまくやるには、旦那への人間としての愛よりも、
芸術家としての尊敬、愛が大きくなくてはならないのかもしれない。


結論を言うと、特にお薦めの映画ではない。


ポロックの弱さには共感できたとしても、例えば酒癖の悪さや浮気、
そういう“典型的な20世紀の芸術家”の姿に共感できなかった。
正しく言うと、共感したくなかった。

彼はキュビズムと対峙できるムーブメント、抽象表現主義を起こすことに成功した。
しかし、そのスタイルを壊す勇気を持たず、
次の段階に進もうとしない姿勢が、観ていてもどかしかった。
その結果、彼がピカソを時代遅れにしたのと同じ様に、
アンディ・ウォーホルが代表するPOP ARTに、今度は彼自身が時代遅れになった。


最終的にポロックは、飲酒運転をして交通事故で人生を終える。
同乗していたのは、彼の奥さんではなく、愛人だった。
まさに20世紀にありがちな結末。
“アート界のジェームズ・ディーン”と言われたとか。


エンディングでトム・ウェイツの“The Time is Turning”
が流れたことによって、この映画の評価は少しだけ上がる。


buna


現在、国立近代美術館でジャクソン・ポロックの展示会がやっている。
http://pollock100.com/

白と黒




電車の中、年配の方に気づいても、
見えなかったふりをする人。


自分に都合の悪いことは、
意識的にも、無意識的にも視界に入らないようにするようだ。


今日は小春日和、咲き始めたばかりの梅が奇麗だ。
春は木々たちも、長い長い冬を乗り越えて、
出番が来たぞ!と。生き生きと咲く。


その向こうに見える、白い粉を撒く“除染”という気休め。
その上で子供達がサッカーなどをしている。


できれば、見えなかったことにしたい。


近年、“ねじれ国会”などと言われて来たけれど、
今ではもう“ねじれ国家”だ。


白と黒の見分けがつかなくなっている。


buna

My football diary 20120325 -宮市亮-

Manchester
Year: 2004 Old Trafford


芸術家にとって頂点とはどこだろう?


次々と若いスター選手が現れる日本サッカー。
その中でも今一番注目されているのが、
イギリス、プレミアリーグのボルトンに所属している宮市亮選手。

常にうまくなりたいという気持ちと、挑戦をし続けることが大事だと思います。

19歳でこんなことが言えただろうか。
宮市選手のインタビューを読んでいると、
自信と謙虚さがバランス良く存在している。
そして、自分を客観的にみる習慣ができている。

一つ上を行くには、やはり状況を客観視し、
そこから逃げずに挑むという姿勢が不可欠だと強く感じる。

buna

参考サイト:サッカーキング
“初ゴールという確かな一歩、宮市亮が「世界で通用するプレーヤー」になるための挑戦”
http://www.soccer-king.jp/column_item/20120213_miyaichi.html

無力感にも負けず。

Trench Warfare5.2
Year:2007 Photo: Kobayashi


守りたいモノがあるか?
それらを守るためには、何が必要で、何ができるのだろう?
今、それを考えなければならないのだろう。


2011年は、酷く混沌としていたので、
なかなか会う機会をつくれなかった友人たちがたくさんいる。
先日、会ったnue(opuesto)さんもその中の一人だ。

最近のnueさんのブログを見てもらえればわかるように、
http://d.hatena.ne.jp/opuesto/
今も変わらず世界の現状と向き合い、闘っている。
むしろ、その姿勢は以前よりも強いものになり、
言葉だけでなく、実際に行動をしはじめている印象も強くなっている。

一方、自分は直接的にはほとんど行動していない。
もちろん関心はあるので、情報は集めているが、
それを発信する意欲はあまりない。

なぜなら、自分自身が多くの情報に混乱していて、
うんざりし、疲れてしまっているからだろう。

しかし、そうも言ってられない。
nueさんとの再会を期に、どう発信していくかを考え直そうと思う。

buna

春風昇太 独演会

my commercial design


昨日は花粉が飛び狂う中、
春風亭昇太さんの高座を観に神奈川県は関内へ。

開場時間に合わせて、大勢の方が関内ホールへと集まってきた。
主催者の話だと限りなくチケットは完売にちかい状況ということで、
昇太さんの人気の高さがここからも伺える。

まずは昇太さんのカジュアルなトークで空気を和らげ、
前座は昨年亡くなった立川談志の弟子でもある、立川生志さん、
そして昇太さんの3席。

毎回落語を聞き終わったあとに、自分が興奮していることに気がつく。
それはどちらかというと、心というよりは脳が活性化されたような感じだ。
噺家さんの言葉、仕草にその場面場面を想像するのだから、無理も無い。

以前にも書いたけれど、こうやって江戸時代から日本人は想像力が鍛えられ、
それが“江戸仕草”などの思いやり、義理、人情に繋がったように思えてならない。

また、落語に出てくる登場人物のように、一般の方も高い話術を
持っていたのではないかと。それに比べると現代に生きる私たちは、
語彙を減らし、コミュニケーション下手になってしまったように感じる。

まぁ、何よりも昇太さんの落語は最高に面白かったし、
声色の切り替え、音の強弱、間が特に素晴らしかった。
なので、落語かよ!?と馬鹿にせず、
まだ観たことがない人は是非足を運んでみて欲しい。


一緒に観に行ったnueさんも、DJ目線で落語をみていたようで、
色々とヒントをもらったようなので、それはnueさんのブログで。
http://d.hatena.ne.jp/opuesto/20120323#1332473564



アップした画像のチラシのデザインを担当させて頂いた。
こういうデザインも実はやっている。

buna

【Jazz】Bud Powell “Cleopatra’s Dream”




寝起きにテレビをつけられるのが苦手だ。
あの独特な音が耳障りなのだ。

今朝はモダン・ジャズピアノの祖」と言われたBud Powellを聴いた。
一日を始めるには最高な音楽だ。

これを聴きながら簡単な朝食をつくり、
ちゃぶ台でひとり朝食をとる。

その後にお茶を飲みながらの読書。

こんな小さなことで幸せを感じられてしまう。

良い朝だ。

今日はこれから関内へ。

buna

色即是空

radioactive decontamination


停滞していたものが、ゆっくりと動き始めそうな予感に、
胸をなで下ろしたい心境で昨夜はベッドにはいった。


今朝、目が覚めると家の前の公園が何やら騒がしかった。
カーテンをあけるとご覧の状態。

冬場、その寒さに地面が堅くなったための、“ほぐし”なのか、
それとも“除染”なのか、自分たちには聞かされていない。

ここ市川市では、空間放射線量は0.07~0.35μSv/時の範囲。
0.23μSv/時以上(地表面から50cm又は1mの高さ)となる市の施設については、
優先的に低減対策するという。

春休みに入った子供たちは、この作業が終わるのを、
今か今かと待っている。

この大地を汚したのは無関心であった自分たちでもある。
最低限、このことから目を背けてはいけないだろう。

buna

参考サイト
http://www.city.ichikawa.lg.jp/gen06/taisaku.html

Mode – Around The edges EP –

Mode-Around The edgesEP


ロンドンをベースに立ち上がったばかりのレーベル、 The Crescent。
ドラムンベースをベースに、エレクトロニカなど、その枠に収まらない音源をリリースしていくようだ。
そのレーベルの記念すべき1枚目のEPのアートワークとデザインを担当させて頂いた。

以下で試聴可能。そして予約も受け付けている。
http://www.redeyerecords.co.uk

buna

Josef Müller-Brockman-デザインの洗礼 Part:2

my book collection
Josef Müller-Brockman “Gestalter”


1998年、美大に復学した。
大学の課題が退屈に感じて、休みがちにだった。
その結果、ある教科の単位を落とし、
留年するか退学するかの選択肢を突きつけられた。
まさに晴天の霹靂だった。

でも、そのとき迷うこともなく、
その場で退学することを大学に伝えた。
早く社会に出て、自分の才能を試したかった。
若さ故の決断だったのかもしれないけど、
今振り返っても後悔はしていない。

その後、可愛がってもらっていた大学の教授の紹介で、
ある有名なアートディレクターの主宰しているデザイン事務所に、運良く就職ができた。
そこで出会ったのが、Josef Müller-Brockmanなどが代表する
スイスデザイン、バウハウスだった。

その会社ではそういう論理的で機能美を追求したデザインを、
言葉は悪いけれど、“強制”された。
本心は先日紹介したDavid Carsonのようなデザインがやりたかったし、
そのときはその魅力もわからず、嫌々勉強していた。

それが今ではデザインをするときだけでなく、
作品をつくる上でもその根底にある。

このJosef Müller-Brockman “Gestalter”という本は、
スイスはバーゼルの本屋で購入したもので、
自分にとってはバイブルの一つになっている。

buna

David Carson-デザインの洗礼-

my book collection
“The end of Print” by Carson & Blackwell


今回はですます調で書いてみます。


美大を休学して渡英したのは19歳の頃。
そこで出会った『Ray Gun』という音楽雑誌が、
David Carsonのデザインとの出会いでした。
(他にも『Blah Blah Blah』という音楽雑誌もあった)

初めて見たときはその衝撃に興奮し、
すぐに雑誌や新聞から切り抜いた文字や写真を作品に使って、
真似をしました。

絵ばかりを描いていた自分が、デザインに興味を持ちはじめたのは、
こういう流れでした。

彼はバンドやアーティストのインタビュー、音を聴いて、
それを直感的にビジュアル化することに長けているだけなく、
混沌としたタイポグラフィーと枠にハマらないレイアウトも特徴的で、前衛的でもありました。
また、それらは理論的なスイスデザインをベースにしていることが、
説得力を更に強めているようです。
そして、彼はMacを使わず、手作業でこれをつくっていたということも
特筆すべきことでしょう。

最近は、実際に手を使って加工したりすることを忘れがちですが、
彼のデザインはそういう怠けた自分に、今でも喝を入れてくれます。

ちなみに現在その『Ray Gun』や『Blah Blah Blah』は廃刊になっており、
人気のある号は、海外のオークションでそこそこ値打ちがついています。

buna

落語者

Noi in Shibuya


最近、巷では落語ブームがジワジワと来ているようだ。
でも、テレビで観る落語は、生でみるそれの半分しか魅力が伝わらない。
落語も音楽、芸術も、やはり生には勝てないのだろう。

ということで(?)昨日は青山一丁目にある草月ホールへ。
「志らく一門会annex−サクラサク!新・二ツ目誕生の巻」を観に父親と観に行った。
仕事の関係で観に行くようになってから、今回で落語は3度目。

失礼な話だけれど、前座では眠気と闘い、
父親は一瞬イビキをかいて、ハッとして起きていた。

そんなこともあり、
立川志らくさんの「金明竹」と立川志ら乃「平林」の一席は、
真打というレベルの高さを知る良い機会になった。

どうやら滑舌、テンポ、間、声質、仕草、アレンジといったところに違いがあるようだ。

そのあと、後輩が渋谷の丸山町でやっているBarへ行き、
子供の頃から落語を聞いて来た父親と、
落語の話を魚にギネスと薬草酒を吞んだ。

これが人生で初めて父親と酒を吞んだ日だった。

buna

【Book】『芸術と芸術家』カンディンスキー

kandinsky"Essays uber Kunst and Kunstler"


人類が築きあげた文化のほとんどが、
インタネット上にアップされていると思いがちだけれど、
実際は古本屋で埃をかぶってことの方が多いのかもしれない。
その中でも日本語で書かれたものとなると、更に少ない。

また、書籍でも商業的価値が無ければ、増刷されなくなる。
例え、文化的な価値があったとしても。これは人類の宝の喪失だ。

古本屋の楽しみは、そういう眠る価値のある人類の財産を探す、救うことだ。
そして、この見た目の古さがまるで宝の地図を手に入れたみたいで、胸が躍る。

2年前くらいから、何十年も前の先輩たちが、
何を感じ、考え、また何に気づいたかに興味を持ち始めた。

ただ、評論家が書いたようなものではなく、
芸術家自身が書いたものや、
芸術家に直接取材して書かれたもの。

このカンディンスキーが書いた『芸術と芸術家』-ある抽象画家の思索と記録ー 
もその一つ。1967年に増刷されたもので、言葉が若干古くて難しいのが難点だけれど、
その当時は定価720円、今ではその倍の値段がついているとは言え、
手の届かない値段ではない。

この本にはカンディンスキーが、日々の実験や制作で気づいたことが
書かれている、貴重な本だ。

このブログも、そんな存在になれるよう、
日々、精進します。

buna

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