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酒も美味しいけれど、その一杯分で映画が何本か借りれることを、
忘れちゃいけないな。と。映画は誰かや何かの人生や時間を疑似体験させてくれ、
そこで感じ、考えることで学ぶことが多いです。
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Love Will Tear Us Apart
Joy Divisionというバンドは音楽好きの間では伝説的なバンドです。
23歳という若さで首を吊ったヴォーカルのイアン・カーティスの悲劇が
更に彼らを伝説にしていると言っても過言ではないかと。
初めて彼らの音を聴いたときは、まだ自分は10代。
その暗さ、退廃性が理解できませんでした。
確か20代の後半、または30代になった頃にやっとリアルな音として、
心に響きました。英語が少し理解できるようになった時期と、
もしかしたら重なっているかもしれません。
このバンドの哀しい結末は知っていたので、それを敢えて映画で観る気があまり起きませんでした。
何がきっかけというわけでもなく、本屋や図書館、レコード屋でやるのと同じように、
背表紙を眺めてピンっと来て手に取っただけでした。
山から海に水が川となって流れるように、人間の心は色々なものに影響を受けながら、
蛇行したり、幾つかに別れたりしながら前に進みます。
まっすぐに生きたくて、心がけていても、あるとき無意識に、
事故的に、そして悪戯に何かに出会い、影響を受けてしまいます。
良い影響だけであれば良いけれど、そんなにこの世界は良いところではなく、
もがき苦しむようにできているとさえ思えてしまいます。
そんな人生や人の心の危うさ、儚さみたいなものをこの映画を観ていて感じました。
絶対的なモノ、変わらないモノなど存在していないのかもしれませんが、
変わらないで欲しいモノや、変わりたくないモノもあります。
例えばわかりやすいのが、誰かに対しての愛情。
でも、この愛情も人を変え、時に人と人を引き裂くこともあるわけで、
僕らに強く影響を与え、狂わすものでもあります。
それを歌ったのがこのJoy Divisionの名曲「Love Will Tear Us Apart」(1980)だと思います。
このバンドに希望があるとしたら、イアン・カーティスの死後、残りのメンバーがNew Orderとして、
今でも世界的に人気のあるバンドとして活動し続けていることです。
どんなに苦しく蛇行しようとも、生き抜き、信じたものを追い続けることの意義を、
ここに見いだすことができます。
変わることを恐れず、一歩一歩1つ1つの選択肢をできるだけ慎重に選び、
今を大切に生きるしかないですね。
buna
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初登山で立山へ行ったとき、中腹でバテた際に「どこまで登るの?」と言って笑われました。
どうやら登山は頂上を目指すらしいです。「頂上に行ってもあとは下るだけじゃないか」
などと意味不明な捨て台詞を言うのが精一杯でした。
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視界の中に
行き詰まったときや迷い込んだとき、
そこから抜け出すヒントは必ず身の回り、
または視界の中にあると信じています。
電車の窓越しの風景の中に見えた広告のフレーズだったり、
人混みの中で聞こえて来た会話や歌の中だったり。
見知らぬ酔っぱらいが叫んでいる言葉だったり。
そして、自分が人に言った言葉だったり。
ヒントやメッセージがそこにはあって、
それに気がつくかどうか。
ときに立ち止まることも必要だとは思いますが、
そのためにも、行動することと、
視野を広く持つことが大事なんじゃないかと。
buna
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感情で絵描くことを避けて来たことは、
以前からここ書いてきました。
でも、生きていれば色々ありますから、
感情的になってしまう日もあります。
そんな日に描いた絵は、皮肉にもある種の強度が出ます。
これを誤読すると、作品に強度を持たせるために、痛みや苦しみが必要なんじゃないか。
となるわけです。
正しくは、心を揺らすような何かが強度を持たせるためには必要だと。
そう信じたいです。
buna
Universal Soldier by Buna on Mixcloud
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昨晩の半蔵門ANAGRAで行われた、Beta Bodega Exhibition by La Mano Friaのクロージングパーティー。
東京らしい、クリエイティブな雰囲気で行われました。数年ぶりにLa Mano Friaと再会し、
そして以前から同じ展示会に出展していたBAKIBAKIくんとも出会うことができ、
活躍している彼らからも良い刺激をもらえました。
やっぱり、“外”に出ていかないと駄目ですね。
自然に触れることの大切さとはまた違ったベクトルで、社会と繋がるというのでしょうか。
自分にしては上出来だったので、昨晩のDJ mixをアップしました。
マスタリングもしていないので、
そういう面でも聴き苦しい箇所があるかもしれませんが、
ほろ酔いのときにでも聴いて頂けたらと思います。
今年は何回DJができるでしょうか。ブッキングお待ちしています。
buna
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いつものように抽象的な話になりますが、
純度を上げる。または守る。
そんな動きを日常的に、そして無意識にしているようです。
ある種の潔癖性なのかもしれません。
基本としているのが、自然の中で感じた純度で。
そこからどこまで純度の低い環境に自分の身を置くことを許すか。
理想を言えば、どんな環境にも影響されないでいたいですが、
これはとても難しいですし、良い影響までもを遮断してしまう可能性があります。
例えば、家の中も。
ただでさえ整理整頓が苦手な上に、常日頃だと麻痺してしまって、
気にならなくなってしまいます。そうやって純度が落ちていくように思います。
なので、毎日少しずつ掃除をするようにしてはいますが、
未だに散らかっています。
今のところ、定期的お寺や自然の中を歩くことが、
純度調整の助けになっています。
自分にとっては芸術家としても、ひとりの人間としてもこれはとても大切なのです。
buna
Buna – THE SEDNA SESSIONS NY SHOWCASE 2012/2013 by Thesednasessions Ny 2012/2013 on Mixcloud
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THE SEDNA SESSIONS NY SHOWCASE 2012/2013
二年前と言うのが正しいのですが、正月気分は抜けたとは言え、気持ちはまだ“去年”ですね。
その“去年”、DJ mixを提供した英国のネットラジオの再生回数のランキングが出ました。
たぶん、このブログなどを読んでくださっている方々のお陰だと思います。
驚くことに2位になっています。
今年はDJも少し多めにやろうかな。とは思っています。一回目は今月17日半蔵門のANAGRAにて、
マイアミのグラフィック・デザイナー、グラフィティ・ライター、La Mano Friaの展示会の、
クロージングでやらせて頂きます。
1/17(Fri) Closing party
11pm-5am ENTRANCE 1500円
Dj:buna(Trench Warfare) / Tikini / ダブ山ジャズ男 / Shami
LIVE: SUNNOVA / DADA / Tomar /Jemapur
buna
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その人の過去の栄光や過ちではなく、
色々な経験を踏まえて、今ここでどう生きているか。
で人は判断されるべきだと思うのですよ。“意味のないことはない”ではなく、
その経験を意味あるものに変えることが大切で、その勇気を持つために必要なものを
日々手に入れようと四苦八苦しているように感じています。
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8日にもここに書いた内容と被るのですが、
何を言い、どこに行き、何を食し、誰と会うか、などという日々迫られている
選択1つ1つの結果が蓄積されたのが今の自分なわけです。
なので、どうもうだつが上がらないとか、
人生がまずい方向に進んでいると感じているのであれば、
日々の選択を見直す必要があると、そう強く最近感じています。
buna
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以前にも紹介したかもしれませんが、
こういう音楽も好きなんですよ。
透明感と強さが共存しているような、そんな歌声が。
この方、奇麗ですしね。
たまに自分の中にミーハーな一面に気づくと、
少し恥ずかしさと、安心を覚えます。
そんなに変人でもないんだな。と。
buna
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本当の直感的なタイプというのは考えずに感じたまま、
後悔しない選択肢を選べることで。
直感で動いて、いつも後悔している場合、
それを“直感的なタイプ”と言って良いのでしょうかね。
自分の直感を信じたいですが、自信がないので意識的によく考えるようにしています。
一方、考え過ぎて動けなかったり、決断ができないという場合も多々あり、
そのへんの塩梅が難しいです。きっと直感で動いて良い場合と、
よく考えなければいけない場合があり、
それをうまいこと見分けれると良いんでしょうね。
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Team Doyobi『Digital Music vol.2』
昨年末、英国人の友人のユニットTeam Doyobi、
彼らの新譜『Digital Music vol.2』が届きました。
誰にでもお勧め出来るようなタイプの音楽ではなく、
電子音楽オタクや玄人ウケするタイプのそれですね。
自分が最も刺激をもらっている人の一人なので、
彼らの新しい音楽が届くのは格別に嬉しいです。
これがまたレコードと配信での販売のみ。要するにCDではリリースされません。
今後、CDという中途半端な媒体ではリリースしない、
こういう形のリリースが増えていくように思います。
試聴はこちらで↓
buna
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気がつくと友達と待ち合わせしていた時間で、大慌てで友達に電話をして出かける支度をする。
軽い遅刻は頻繁にしますが、こういうことは滅多になく、とても焦りました。
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友達の誘いで吉岡徳仁さんの展示会を観に東京都現代美術館へ。
どうやって結晶化したのか、頭の悪い自分には最後までわかりませんでした。
特に詳しい説明がなかったので、たぶん方法は重要ではないのでしょう。
テーマの“人間と自然の関係性”については、
人間や人工物が自然に与えている影響は一度生まれると、容易には元に戻すことができなく、
人間の手で管理し続けなければならないし、完全に制御することも難しい。
核廃棄物がその良い例かと。そんなことを再確認させられました。
音楽を聴かせながら結晶化させた絵画「Swan Lake」は、
聴覚障害を持つ方が音楽を“空気の振動”として楽しむという話を思い出しました。
奇麗な音楽というのは、すなわち奇麗に空気を振動させることと言えるようです。
そして、我々人間も日頃自分を含め、周囲の言葉や思い(念)、振動や電波などを意識下で感じて、
それが心や健康にも影響する。というような普段自分が考えている
イメージが視覚化されていたようにも思えます。
アップした写真もこの展示会のものです。こうやって写真で見てみると、
死後直後の世界にも見えます。気が向いたら行ってみて下さい。
1月19日まで開催しているようです。
buna
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ロンドン東部のある通りを歩いていると、一人の英国人が話しかけて来たことがあります。
彼はコップに水が注がれている絵を手に、「これが禅ってことだよな?」と。
首を捻って「わからない」としか答えれませんでした。今でもわかりません。
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水のように時と状況(入れ物)に合わせて形を変える。
そんな器用には生きられません。
ただ、目の前で起きた事柄を受け止めることは、
未だに不器用ではありますが、年を重ねるごとに
以前よりもうまくやれるようになったとは思います。
その点では水には近づいているのかもしれません。
では、今のこの停滞感はどこからくるのか。
淀みに落ちていても時は流れるので、
まるで自分も流れているかのような錯覚に落ちていたようです。
目の前にあることと向き合ってさえいれば良い。そのようにここ数年考えていました。
間違ってないとは思いますが、ただ“そこ”にいて、受け身で待っていて、
対処することばかりに気を取られて、自分から流れをつくることをしてこなかったのです。
英国より帰国して、2、3年は自ら動いて流れを作ろうとしていましたから、
あの頃のように、何か目的持って動くことが今の自分には必要のようです。
buna
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今まで変わり者と自覚したことは、仕事の面接など以外ではなかったのですが、
最近、とうとう少し自覚してきました。今までまわりにいる人が変わり者だったので、
何が変わっていて、何が普通なのか、ひっくり返った環境が多かったんでしょうね。
もしくは、更に世間ズレにしてきたか・・・。
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Isolated stranger
昨年のある忘年会にて、初対面だった30代の独身女性に「結婚だけが幸せじゃないよ」と
フォローしたつもりが、凄い失礼ですね。と不機嫌にさせてしまいました。
どうやら世間では失礼なことのようです(苦笑)。
また、姪っ子には「なんで結婚しないの?みんなしているのに」と意地悪な笑みで言われ、
「結婚だけが幸せじゃないよ」と同じように答え、小学2年生相手に真剣に答えている自分が
滑稽に思えました・・・。
この件は言えば言うほど、書けば書くほど必死に言い訳をしているようで嫌ですね。
本人、殆ど気にしてないです。それを気にするくらいならこの道を選んでないですから。
以上です。
buna
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明けましておめでとうございます。
新年を迎える準備もろくにできずに、二日酔いと共に元旦を迎えています。
昨夜の大晦日は実家で親族が集まり、とうとう4人の姪っ子の“おじさん”
になったわけですが、あらためて自分が一般的な時間軸で生きていないことを感じます。
それを引け目に感じることも、焦ることもなく、それをただただ受け止めて、
我が道を生きます。
日本の大晦日の定番、紅白歌合戦が例外なく実家のテレビには映り、
年に一度くらいはそういう世界を覗いてもいいかなと。大きく構えていたものの、
スイスでのニューイヤーズ・イヴの品格と重厚感が無性に恋しくなってしまいました。
結局耐えられず、親族が集まる中一人我が家へ帰り、
こんなこともあるだろうと借りていた『Youth Without Youth』“コッポラの胡蝶の夢(邦題)”
をひとりウイスキーをチビチビやりながら過ごしました。
我ながらマイペースだなと少し呆れてしまう、そんな自分ですが、
今年もどうぞ宜しくお願い致します。
そして、毎年言ってますが。“今年こそは”と
できるだけ一日一日を大切に、行けるところまで精進します。
buna