QUEST FOR THE CENTREPIECE by buna

Archive for 2014.3

【本】『今日は死ぬのにもってこいの日』




数日前から花粉症をこじらせてしまい、寝たり起きたりの繰り返しです。
昨日は電話で何度も誘ってもらった友人のライヴにも顔を出せず、申し訳ないことをしました。
これでもだいぶ体調管理できるようになったんですけどね。まだまだです。


『今日は死ぬのにもってこいの日』

幼少期に住んでいた米国北西部のシアトルには、ネイティヴ・アメリカン(インディアン)
のアートを扱うギャラリーが多くありました。なので、その頃から最もと言って良いほど身近にあった、
アートの1つでした。いまでも彼らの色使いには少なからず影響を受けているような気がします。

数年前から気になっていた『今日は死ぬのにもってこいの日』という本があります。
インパクトのあるタイトルですが、幸せの最上級の表現と考えて良いと思います。
まだ一度しか読んでいないので、浅い感想だけですみません。

こうして彼らの価値観、哲学を少し覗いてみると、
自然との共生、共存という点で日本の神道に近いものがあり興味深いです。
こういう価値観も欧州の価値観が上陸するとともに、隅へ追いやられてしまったようです。
それは日本も同じです。もちろん、全ての欧州の価値観が悪いというわけではないですが。
311後、この価値観を取り戻すことの意味を強く感じています。

これは詩集なので、読み進めてもまるで雲の中にでもいるような印象で、
これらをヒントとして自然の中に身を置いて、
自ら体験するしか深く共感するのは難しそうです。

以下、今一番気になった部分です。

「たぶん、君自身になるってことは
泣き叫ぶ嵐の中に、君独りいるってことだ、
そのとき君が求めるすべては
人の焚き火に手をかざすことだけ。」

『今日は死ぬのにもってこいの日』ナンシー・ウッド(めるくまーる)

buna

MYSTICA TRIBE “Lizard EP” 国内予約開始




梅の花が咲き、とうとう桜の季節です。冬が支配権を春に譲る準備が始まっています。
4月は転機の月。長い冬という死の季節を抜けて、これから天地のエネルギーが踊り、
あらゆる命が誕生し、目覚めていくような印象があります。


MYSTICA TRIBE “Lizard EP” 

久々にアートワークとデザインを担当したレコードがリリースされます。
東京を拠点とするMYSTICA TRIBEさんの音楽との出会いは、
よく自分が利用している海外のweb storeでした。まさかその方からアートワークを頼まれるとは
思っておらず、驚いたのは確か去年の年末だったように記憶しています。

国内はネットレーベルが主流になりつつある中で、レコードというかたちでのリリース、
そしてレーベルの立ち上げをされたことは、大きな挑戦です。
そんな挑戦をアートワークとデザイン(レコード及びレーベルのロゴ)
でサポートさせて頂いたことを誇りに思います。

試聴と予約は以下で可能です。
http://www.undergroundgallery.jp/index.php?main_page=product_info&products_id=42195

buna

頭の中の世界地図


2008 ロンドンのポートベローにて


何年も働いた仕事を退職したある知人が「夕日なんて何年も見てなかった」と。
信じがたいですが、この国ではそんなこともあるのかもしれません。


頭の中の世界地図

英国に住んでいる頃は、身近にたくさんの人種や宗教、価値観を持った人がいたので、
普通に生活していても“地球に住んでいる”という感覚がありました。
なので、自然と視野が世界へ向きます。例えばどこの国でどんな紛争や問題起きているとか、
どんな技術が普及しはじめたとか。そんなことにです。

日々の生活に追われることもあるけれど、時間があったとしても日本にいると視野が狭まります。
日本というのは、先進国の中でも特種な国で、異空間とも言える文字通り離れ小島です。
その閉塞感が苦しくて、自分は2001年にこの国を捨てるように渡英しました。
その当時その閉塞感の理由はわかりませんでした。ただたた、ここに居てはいけない。
ここに自分の望む人生はない。そういう感覚に支配されてしまったからでした。

海外の生活で、日本の常識が世界の中では非常識だということを知れたことは、
その閉塞感を少し和らげてくれました。もちろん、日本の常識にもたくさん良いものもあります。
それでさえも、外に出なければ気づくことはできませんでした。
幼少期に米国に住んでいた自分でさえそうですから、外に一度も出たことのない人は、
それらを知ることはかなり難しいように思います。
それに加えて、世界各地に友人、知人ができたため、
帰国してからも彼ら彼女とメールやSNSなどで連絡を取ることで、
頭の中の世界地図は辛うじて広さを保つことができています。

視野が狭まるというのは、可能性が減るということでもあり、自縛的になる理由の1つだと思います。
もちろん、海外に物理的に行くことだけが“外”に出ることではなく、
書物や映画などで今いる場所の“外”へ行くことはできます。

そこで必要になってくるのが想像力です。
想像力の欠如が叫ばれてかなり経つような気がしますが、それが人を思いやる心にも繋がるので、
想像力というのは自分たちが思っている以上に大切な力のようです。
なので自分たちのような物作りは、その想像力をかきたてるような作品を世に出すというのが、
1つの使命かもしれません。

buna

その闇の深さを




「いつ死んでも良い」
人がそう口にするとき、そこにはどんな背景があるのだろう。

その闇の深さを

なかなか出会うことがなかった職業だったり、
価値観を持つ人と知り合うことができると、
頭の中の“世界地図”が広がるような感覚になって楽しいです。
先日もプロの格闘家と出会う機会があり、短い時間ではありましたが、
考えつく限り質問をしてみました。

彼らは3ヶ月に一度、多い人で一ヶ月に一度試合を行い、
その賞金などだけでは経済的に厳しく、日雇いの仕事などをしているそうです。
その世界で優秀な成績を残していても、
それが経済的な余裕や豊さを伴わないという別の例を垣間みました。
それでも彼が闘い続ける理由は、自分を高めるという喜びのようです。
これは絵描きの自分も共感できるところです。

好きなことをやっていて、とか。夢があっていい。
そんな風に言われることがよくありますが、
本人としては、夢を追っている意識はありません。
ただただ、現実と闘っているだけです。

現に、その格闘家の彼も”いつ死んでも良い”と言い、
それは全力で生きているから。という理由からではなく、
絶望、またはそれに限りなくちかい心境で彼も、
そして自分も闘っているわけです。

空海の言った背暗向明(はいあんこうみょう)は
闇に背を向け、光の方へ進もうという意味で。
これは闇に目を向けるなということではなく、
闇を見つめ、受け止め、その闇の深さを光の方へ進む力にすることが大切だと、
今の自分はそう解釈します。

格闘技に殆ど興味がない自分でしたが、
今後は彼の活躍を陰ながら応援し、格闘家の人生にも目をむけてみたいと思います。

buna

as someone with choice




春一番が吹いたということで、とうとう春のようです。
毎年冬の寒さが辛くて、春が来ることが待ち遠しいのですが、
今回はそれほどでもありませんでした。単純に寒さ対策がうまくできるようになったってことが
一番の理由かもしれません。だとしても、春が来るのは嬉しく、活動的になる準備をしています。
まずは家の中の断捨離を。


どの選択肢を選ぶか – as someone with choice –

何かを選ぶというのは、何かを無くすということで、
どれも捨てにくいということが日常的にあります。
その迷いが執着なのか、それとも心の奥から湧き出るものなのか。
その判別はとても難しいです。例えば、部屋の掃除をしているときに、
使うかも。とか必要じゃないけれど、捨てられない。そんなことはよくあるかと。
思い出の品だったりすると、やはり情が湧いてしまいます。

情に振り回されるな。とこれもよく聞くアドバイスです。
何故に情が良くないのか。この答えは難しいです。
ただ、情で何かを選ぶというのは、だいたいが困ったこと(不幸)になるらしいです。
現に捨てられずに、収納には何年も使っていないものがたくさんあり、
困った状況です。

これは色々な場面でも言えることで、どの選択肢を選ぶか。
内容によっては、選んだものによってこの先の人生さえ変わってきてしまう場合もあります。
でも、やっぱり難しいです。
こういう場合は、目を瞑って捨ててしまうことなのかもしれません。
後で後悔することもあるでしょう。でも、そうやって学んでいくしか、
他に方法が思いつきません。

buna

must be on my way




とうとう花粉症なのか、風邪なのかわからない症状が出ています。
でも、あのマスクだけはしたくないのです。


must be on my way

前回の内容の続きにもなりますが、
決断を後回しにしてきたことで、歪みが酷くなっています。
そろそろ決断しなければいけなそうです。もう限界に鼻が触れました。
どの選択肢も痛みが伴いますから、どの痛みを選ぶか。
ということになります。

こういうときは何よりも本質を掴むことです。
大事なモノを見失ってはいけないので。
何が一番自分にとって大切か?必要か?という自問を繰り返しています。

今まで決断できなかったのは、なんとかなるだろう甘えです。
人に期待するばかりではなく、自分からそろそろ動きます。
もううんざりですからね。

buna

【映画】『La haine(邦題:憎しみ)』ここまではまだ大丈夫




20代の頃に好きだった映画の1つ『La haine(邦題:憎しみ)』1995(フランス)、
これはパリ郊外のバンリューを舞台にした人種差別を扱った映画です。
(サントラはフランスのヒップホップ満載)
この映画の冒頭で繰り返される、ビルから飛び降りた男が言った
「ここまではまだ大丈夫」「ここまではまだ大丈夫」「ここまではまだ大丈夫」
というセリフが印象的です。


ここまではまだ大丈夫

自分はギリギリまで行かないと決断しないことが多く、
「ここまではまだ大丈夫」「ここまではまだ大丈夫」「ここまではまだ大丈夫」
そう同じように心の中で繰り返すことがよくあります。

できれば面倒なことは避けて、楽な方に進みたいですよね。
でも、楽な方に進んだつもりが実は苦しい道のりだった。
そんなことが今まで何度もあります。

きっとその時は何かしら楽できたかもしれませんが、
結局その代償は払わなければならないようです。
下手したら後回しにした方が、
もっと面倒で辛いことになるということもよくあります。
今もそういう状況になっていますし。

なので、目の前にある問題や課題をできるだけ逃げずに向き合って、
その対象が目の前から消えるまで、勇気を持って闘うようにしています。
強い人間と勘違いされそうですが、実はそれが一番痛みの少ない選択肢で、
強いのではなく、自分の弱さを知っているというだけだと思います。

buna

父親からの贈り物




昨晩でのJICOO The Floating BarでのDJは、DJソフトにトラブル?
が発生してパニックになりながらでした。これから原因をつきとめて、
同じことが起きないようにしようと思います。やっぱりあの船でのDJは特別で、
やりがいがあります。共演したDJ 蟻さんとsunoさんとも初めて話すことができ、
あらためて現場に行く大切さを感じました。


父親からの贈り物

定年後、父親が趣味で陶芸をやっていて、自分のために筆置きをつくってくれました。
数ヶ月前に頼んだので、正直頼んだことも忘れていたのですが、
嬉しいサプライズでした。もちろん大切に使わせてもらいます。
新しい和紙も同時に届いたので、これで制作にも力が入ります。

自分は独身なので、父親になるということがまだまだ想像がつきませんが、
もし成るようなことがあれば、その子供がいつか自分の作品やこのブログを目にすること
もあるでしょう。そのときに子供が自分の親を誇りに思えるよう、
恥ずかしくない生き方をしなければと更に思います。

buna

JICOO The Floating Bar




あれ、もしかしたら花粉症が始まったかもしれません。
大雪も降ったけれど、ストーブなどもあまり使わず、
今年はそれほど寒い思いをしていません。
それでも、花粉の季節の春が来るのが待ち遠しいです。


“大人な”選曲を

久々のJICOO The Floating BarでのDjは明日です。
東京湾から見える夜景にあう“大人な”選曲をしていますので、
少しでも有意義な時間を過ごして頂けたらと思います。
自分の出番は一番目です。第一印象に影響するお客さんが乗船する時間帯からなので、
この時間帯もまたやりがいがあります。

他のDJの方々は東京のエレクトロニカ・シーンでは
活躍している方だと聞いていますし、そちらのお二方も要チェックですね。
このシーンはここ数年DJが少ない印象なので、これをきっかけにDJに興味持って頂けたら、
更に嬉しいです。では明日お待ちしております。

buna

抗いたいのは- what i resist –




以前にも書きましたが、いくつかの凍てついた心が、何かをきっかけに溶けて1つになるような。
そんな映画に感動することが多いです。知らず知らず自分の心にもそういう部分があり、
溶けることを待ち望んでいるのかもしれません。それらを和らげる何かがいつも目の前にあるのに、
不安や恐怖、拘りがそれを見えないようにさせているような気がしています。


抗いたいのは

先日、高校の同級生の誘いでビジネス交流会みたいなものに参加してみました。
色々な職種の人が、それぞれの観点でビジネスを考えていて、
何かを“売る”ということについて考える良い機会になりました。

自分は心ない商業主義に抗いたいだけで、お金を儲けること自体を悪と考えているわけではないです。
人の心を豊にすることでお金が稼げるのであれば、こんな理想的なことはありません。
では心の豊かさとは何かというと、一言で言えるほど突き詰めれていません。

例えば、人の心の痛みがわかるとか、人やモノ、時間を大切にできるとか、
音楽や芸術、小説などに胸を踊らせられることだったり。
どれも心に余裕がないとできないものですね。

なので、“今、何が売れるか”ということだけでアイデアを考えるのではなく、
“本当の豊かさとは何か?”、“今、自分たちには何が必要か?”
という自問に答えるようにアイデアを絞り出す、
そんなスタンスでビジネスをやるのであれば、自分の信念に逆らうものではないです。

果たして自分に何ができるか。それを具体的に考えるきっかけにできたらと思っています。

buna

和について




かなり信じやすかったり、思い込みが激しいところがあり、
周りの友人には心配を通り超して呆れられています。
自分の感覚を信じているだけなのですが、どうやらその感覚は
いつも自分を棘の道へと導いてくれるのです。
その道を歩いて来たからこその、今の自分であり、自分の作品があるわけです。
なので、後悔はあまりしていませんが、自分でも呆れてはいます。
自分の作品に足りないものが、きっと自分の生き方に欠けているモノなんでしょうね。
これはよく考えなければいけません。


和について

何度もここに書いていますが、墨を使用して絵を描いているものの、和を意識しているかと言うと、
そうでもありません。ただ、墨を使用しているというだけなのです。
もちろん日本の精神性、例えば禅や真言密教にはかなり興味があり、
仏教徒でもあります。

なので人間的にも上に並べたような哲学や思想の影響はかなりあります。
だからと言って典型的な日本人ではないのです。
物心がついたのがアメリカはシアトルですし、計5、6年は海外生活も経験しています。
当然西洋文化や価値観、習慣にはかなり影響を受けています。
ですから、日本人離れした考え方、行動をかなりしているようです。

例えば、自分の意見や気持ちをはっきり言ったり、
“空気が読めない”ことをやったりもします。
もちろん、日本人的なところもあり、周りの目を気にしたりもします。
まぁ、そんな面倒な人間なんです。どうぞ宜しくです。

buna

hand in hand




英国人の友人から連絡があり、夫婦共々仕事やプライベートで問題がいくつも起きていて、
とてもストレスが溜まる状況だったとのことでした。

「二人で助け合うことで乗り越えることができたし、
結婚して20年近くになるけれど、二人の絆が更に強くなり、それぞれも強く成れたよ。
多くの夫婦が、仕事やその他の問題によるストレスでうまくいかなくなってしまうのが理解できたよ」
と言っていました。

個々が自分で考え、それを持ち寄ってひとりでは解決できない問題を
助け合って二人で乗り越えていく。人間は弱いものですから、
助け合い、支え合って生きていくのが、人間らしい姿に思えます。

その友人夫婦は自分にとって理想のカップル像の1つです。
手紙を添えて、元気の出る何かを送りたいと思います。

buna

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