
DJing at Bullet’s
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昨日は、以前からお世話になっているクラブ、西麻布Bullet’sへ。
この店の15周年記念ということで、我らがCMFLGもイベント”Camouflage”を
脱力感たっぷりに開催しました。
Bullet’sというハコ(会場)は土禁なので、
当然、入る前に靴を脱ぐので、靴下を選ぶセンスをどこよりも試される場所でもあります。
床には赤いカーペット、ラウンジ・スペースにはベッドやソファー、
丸太の椅子など。90年代の空気が残っている珍しい場所です。
ベッドがあるなどと言うと、何かセクシーな想像をする方がいますが、
そこでストリップが行われたり、男女が隠れてどうのみたいな。
そういう、いかがわしいところではないです。
期待したり、誤解のないよう念のため。
そのようなゆったりと音楽と会話を楽しめる会場なので、
今回のDJはそれになるべく合わせた選曲をしました。
アンビエントからドラムンベース、ダウンビート、ダブ、民族音楽、Electronicといった流れでした。
morrissy(chimera)くんが撮影してくれた動画があるので、
雰囲気は感じて頂けるかと。かなり短いです。
DJとしてのスケジュールは今のところ
7月7日(月)本八幡Expose-One
7月17日(木)西麻布Bullet’s
の以上二回です。
buna
year: 2008 Rainy Drive in Manchester
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“これは自分が本当に望んでいる生活ではない。それはもっと別のモノだ”
そんな曖昧ながら確実な思いが日に日に大きくなった2001年。
その年の5月、24歳の自分は約13時間の長いフライトを終えて、
ロンドンの眩しいほどの青空の下にいた。
あのときの自分にはそのくらいの大きな行動、変化が必要だった。
直感だったけれど、今でも正しい判断をしたと自分を褒めてやりたい。
最近の天候の不安定さが英国のそれに似ていて、よく思い出す。
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Stepping out – 突き動かす何かを –
止まない雨はないというけれど、雨がほとんど降らない地域もあれば、
雨が断続的に降り続ける地域もある。
今の環境に満足できないのであれば、自分の求める環境をつくるか、
または求めるモノがある場所に移動するしかない。
よく言われるように、得るものがあれば何かを無くすもので、
二度の渡英は、長年慣れ親しんできた友人や家族、そして日本文化(特に日本食)、
習慣、天候などと自分を切り離さなければならなかった。
それはとても寂しかったし、辛く、不安なことでもあった。
でも、それを乗り越えて手に入れなければいかないものがあったし、
それ以上に切り離したい、振り払いたいモノがあった。
何しろそのときの自分が嫌で仕方なかった。
それら全部が自分を突き動かし、大海を越えさせた。
正しいと思える選択肢を選ぶのは、簡単ではない。
針の穴に糸を通すような、神経を使う作業だ。
それを直感的にできる人もいるけれど、自分のそれはそこまで信用のできるものではない。
または歳を重ねて慎重になったのか、もしくは臆病になったのかもしれない。
選べぶべき選択を見分けるには、自分と自分を取り巻く環境や状況を知る必要があった。
例えば、足りないものは何か。何を求めているか。求められているか。などだ。
それを知った上で自分を成長させるだろう道を選ぶ。
楽をした分のツケは必ず早かれ遅かれ払わされる。結局どれを選んだところで棘の道だ。
今の自分、そして周りの状況を愚痴っても仕方ないから、
全てを投げ出したくなるのをこらえて、
2001年に自分が決断したような、大きな一歩を探して今動いている。
buna
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登山に行くと、必ずと言っていいほど体重が増える(苦笑)
移動中の車の中やインターで食べてしまうし、
登山中も疲れることを理由に食べ過ぎてしまう。
帰って来てから怖くてまだ体重計にのっていない。
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climber – 一歩一歩前へ前へ –
急遽、先週末に姪っ子の初登山の同行で初の筑波山へ。
ちょうど自然に触れたい心境だったので、良いタイミングだった。
輝く木洩れ陽と活き活きとした新緑を眺め、頭上の鳥のさえずり、
耳の側を飛ぶ蜂の羽音、涼しげな川のせせらぎ。山では数多くの生の音が聴こえる。
そして、流れ落ちる汗をタオルで拭きながら、歩く、歩く、歩く。
兄は我が子を背負い、姪っ子は足をバタバタさせていて、喜んでいるように見えた。
我が子の重さは責任の重さに比べたら大したことないかもしれない。
それに耐えうる喜びが、自分の知らない喜びがそこにはあるのだろう。
あの姪っ子の無邪気な笑顔を見れば、自分にも少しだけそれが想像できる。
よく登山を人生に例えることがあるけれど、兄夫婦の姿はまさに象徴的だった。
協力し合う姿は見ていて安心したし、いつも自分の人生に欠如しているものを考えさせられる。
人生という山を登っているのか、もう既に下っているのか。
どうあれ、道を探して、一歩一歩前へ前へと進むしか無い。
頂上に到達することは目標だけれど、目的ではない。
そこに到達するまでの過程で、何を感じ、考え、自分の血肉にできたか。
これが目的で、自分にとっての人生だ。
頂上付近ではブナ林が静かに迎えてくれた。
いつかある人に「ブナの木に認められたんだね」と言われたことを思い出す。
bunaと名乗るようになったのは、そういうことだったのだろうか。
少なくとも失礼のないよう生きて行くことを、あらためてブナの木に誓った。
そこは絶対にブレさせない。
buna