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日に日に夏に近づいています。
どうやらまだ体が追いついていないようです。
水たまりに石をけり込むみたいに、
自分が動いただけ、周囲に波紋が起きる。
そして、それが成長に繋がることに気がつけたのは。
確か、マンチェスターでの日々でした。
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悔しい表情とブーイングまじりの歓声
昨夜は、サッカーの日本代表のワールドカップ予選がありました。
思い出したのがちょうどハーフタイムで、
もう少しで見過ごすところでした。
スコアは0-0。初戦なので、難しいところもあるのでしょう。
決めきれない姿は、自分をみているようで(苦笑
気がつくと体を乗り出して、祈るように応援していました。
しかし、結果は引き分け。
悔しそうな表情をしている選手が映るテレビ画面、
その背景には微かにブーイング。
“一所懸命、全力で戦った選手に失礼”
そう思う人もいるかもしれません。
とても日本的で美しい思いやり、
心持ちだとは思います。
愛ある批判、不満の意思表示は、
馴れ合いの関係にならないためにも、
良い緊張感を保つためにも、
それは必要なんだと思います。
buna
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ある昭和の宗教家が「右でも左でもなく、“ナカヨク”」
とうまいことを言ったそうです。
僕も、どちらかではなく、両方の翼を持っていたいと考えています。
これははっきり表明しておいた方がいいようです。
日本では自国の旗をチラつかせるだけで、国粋主義者だとか、
ナショナリストなどのレッテルを貼られやすいようです。
これは敗戦というトラウマから、
この国がいまだに立ち直れていないからでしょう。
一方で、そういう部分だけが残り、
戦争放棄(日本国憲法9条)の誓いは薄れていっているようです。
さて、話は変わって以下は、浜松で展示した作品(売却済)です。
日本で生まれながらも、幼少期を米国で過ごした僕には、
両国の価値観が共存しています。それは戦後の日本の姿と重なります。
それを表現したくて制作した作品で、
コンセプトから作品をつくるという、新しい試みでした。
文章は展示の際に使用したキャプションです。
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HINOMARU(2015)
米国はシアトルにて幼少期を過ごしました。
僕の人生は、あの街から始まったと言っても良いかもしれません。
その頃の米国と言えば、ベトナム戦争が終結したばかりです。
その空気を子供ながら感じていたのか、
その頃の僕の絵には戦車と拳銃が描かれています。
5歳で帰国してからも、父が英語の教師だったこともあり、
いつも米国文化は身近でした。
そしてその当時の多くの人にとっての憧れだったように、
二十代後半まで、僕の関心は欧米文化に向けられていました。
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日の丸が歪な円なのも、今の日本を表現しているようで、
気に入っています。
buna