
友人が勧めてくれた日本人の女性歌手を聴いていて。
物足らなさを感じた理由を考える時、
いつもまず思い浮かぶのはPortisheadのベス。
そして最近ではこのオーストラリア出身のsia(シーア)。
世界的なアーティストなので知っている人も多いだろう。
普段聴いている音楽に比べると、
メジャー感満載で長い間聴いていると疲れてしまうけれど、
心に響いてくるものはかなりある。
そして少し調べてみると。
僕が2000年代前半に聴いていたZero7のボーカルを務めていたらしく、
同級生とばったり会った感覚に似ている。
年齢的にも同じ世代でもある。
「メジャー感」とはなんだろう。
と同じ表現者として考えさせられたりもする。
buna
忙しい中、最近仲のいい友人たちと強引に京都へ。
写真を撮ることと、京セラ美術館で開催されている
アンディ・ウォホール展を観るのが目的だった。
アンディ・ウォホール展は、
アンディ・ウォホール自身と彼の作品を
多角的に見ることができる充実した内容だった。
技術的なヒントが欲しく
自分の想像と経験で、
彼がどのように一枚の絵を、
どのような版を重ねて制作したのか、
研究した。
おかげで2、3つ新しい実験をするイメージができたけれど、
これをいつ実行するのか。が課題。
日々仕事に追われて、制作時間と体力、
気力が残らない環境の今、
このままで良いのだろうか。と自問は避けられない。
「いつかきっと」をいつまでそのままにしておくのか。
さて、今日こそは制作をする。
buna
自分次第では、成長できる環境にいられているのは幸運なことだ。
でも、成長痛が伴うから、逃げてしまいたくなることもある。
自分の居場所はここで良いのだろうか。
などという都合の良い自問をぶら下げて。
ただ、周りからそんな声が聞こえ始めたら、
一度真剣に考えた方が良い。
どこからかのメッセージかもしれない。
Karshni-Josephine On The Floor
インドはムンバイを拠点として活動するシンガーソングライターのKarshni、
(彼女の名前の正しい発音はまだわからない)
インドでもライヴ音楽を楽しみたくて探していたとき、
Bandcampで彼女の歌声と出会った。
聴いてもらえばわかるように、彼女の声は透き通っていて、
少しばかりの危うさも共存していて、癖になる。
特にこの曲は彼女の代表曲になってもおかしない名曲だ。
残念ながらまだライヴには行けていないけれど、
いつか生で聴きたい。
buna